2007年9月アーカイブ

メールの疑惑

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境目のない風景.JPG

こう見えても作曲家のはしくれである。耳には自信がある。
耳には自信があるが、目はからきし駄目である。
そもそも遠視だった。遠くのものはよく見えるが、近くが見えない。


性格に起因するものなのか。
将来の構想はよいのだが、今日の生活態度がよくない。関係ないか。


40歳を過ぎてこの傾向に拍車がかかった。
老眼という、イヤーな言葉が頭をかすめる。
何が困るといって、本が読めない。
文庫本はまずアウト。
それでも友人知人に薦められて読まねばならない本もある。
これがつらい。何せ画数の多い漢字はみな黒いかたまりにしか見えない。
ほとんど心眼で読むしかない。


しかし、もっとつらいものがある。
実は、メールの文字が判読できない。
「うれしそうな顔して。コレか?」
小指を立てて冷やかされたりするが、断じてちがうのである。


うれしそうな顔をしているのではない。字がうまく読めないのである。
奇怪なメッセージを、必死で解読しているのである。

[川崎洋に集合]
何のこっちゃ?
目を凝らしてナナメから見ると[11時半に集合]と読める。
乱視のせいで線が増えるのだ。
なにしろ、「ん」と「人」の区別がつかない。
ひどくなると、
「不公平」が「松平(まつだいら)」に見えたりする。
格差社会は松平だらけになる。

それでもメールを手放せない。
もはや通信の主流は明らかである。
ついていくしかないのである。
大事なお仕事だからである。
断じて、小指関係ではないのである。

photo=境目がない風景(串本町) c.nagase

Cはチャーリー

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猫.JPG

猫.JPGメールアドレスというものがさっぱり分からん。
何回聞いても覚えられん。
そもそも相手の言葉が聞き取れん!
電話じゃ無理!!


「小文字で、オカモトハイフンエーディーエフ」
「エービーエフ?」
「ううんエー、デー、エフ」
「エー、デー、エル?」
「ちがうちがうエー!ディー!エフ!」
「エー!ジー!エフ!」
だんだんケンカ腰になってくる。

ビィーだのディーだの、シーだのティーだの、何とかならんか?
ピィーだのジィーだの言われたら、ヒィーとかキィーとか叫びそうになる。

むしゃくしゃしていたら、南紀白浜空港のイズミさんがいいことを教えてくれた。
「アルファベットには、それぞれ符丁があるんですわ」
ほんまですか?
「エイブルのA、ベーカーのB、みたいに」
へぇー。おもしろそうー。

「Cはチャーリー、Dはデルタ」
露天商の口上みたいだ。
「Eはイージー、Fはフォックス」
Jはジャック、Kはキング、Qはクィーンとかなり覚えやすい。

では、ここで問題です。
Wの符丁は何だと思う?
「ウィンク?」残念!
正解はウィスキー、らしい。
「ウィンクのほうが言いやすいのに」
「いえ、Wはウィスキーです!」
断固としてゆずらない。きっとイズミさんが勝手に決めたんだ。

ちなみにこの符丁を使うと、冒頭の会話はこうなる。
「小文字でオカモト、ハイフン、エイブルのA、デルタのD,フォックスのF」
「オッケー!エイブルのA、デルタのD、フォックスのF」
スゲェー!すぐに通じた。

photo=熊野古道の猫(c.nagase)

ヒロム君の庭

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扇ケ浜.JPG

 

ヒロム君の部屋でレコードを聴くのが何よりの楽しみだった。晩ごはんが終わると、体がむずむずした。親の目を盗んで、ヒロム君の部屋に行くのだ。
木戸をそっと開けて、あとは一目散。全速力でペダルを漕いだ。

ヒロム君の部屋も迷宮の中にある。雲形定規のへりのような路地。自転車1台やっとの広さ。海抜2mの表示の先にヒロム君の部屋がある。母屋から中庭をはさんだ離れがヒロム君の城だった。

中学3年生のぼくは、ここでさまざまな歌を聞いた。
あべ静江、伊藤咲子、石川セリ。
NSP、ふきのとう、加川良。ボブ・ディラン、ニール・ヤング、エリック・クラプトン。

ぼくはここでダイアナ・ロスに出会った。ダイアナ・ロスのベストアルバムを、いったい何度聴いただろう。粒ぞろいのアルバムの白眉は、何といっても『エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ』だ。この曲を初めて聴いたとき、天が抜けてナイアガラの滝が落ちてきた、と思った。


この当時、モータウン・サウンドを支えていたのが『ファンク・ブラザーズ』だったことを、ぼくは30年以上経って初めて知ることになる
。『スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン』という映画のラストシーンで、年老いたメンバーが故人の遺影とともに演奏するのが、やはりこの『エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ』だった。天が抜けて、今度は涙がこぼれ落ちた。

ヒロム君は県外の高校に進学し、ぼくたちはいつのまにか疎遠になった。
年賀状のやりとりも途絶えてしまった。
今回思い立って、記憶の中の路地を歩いてみた。
汗をかくまで歩き回ったが、ヒロム君の部屋はどこにもなかった。
よく似た家の庭先に石榴が実り、風鈴が秋風に揺れていた。
へん。どこにいても、いくつになっても、俺たちはエイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフだぜ、ヒロム君。

 

photo=扇ケ浜の午後(c.nagase)


アキちゃんのレーダー

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新庄公園.JPG

 

毎朝、遠回りをしてアキちゃんを迎えに行く。中学時代、それがぼくの日課だった。アキちゃんの家はお医者さんだった。広いお屋敷の勝手口から声をかけ、アキちゃんが出てくるのを待つ。待つうちに黒縁メガネのおかつがやって来る。ぼくたち3人は表通りに合流し、鮭の遡上の一員になる。


転校生のぼくを、ブラスバンド部に勧誘したのはアキちゃんだった。
好きな楽器を好きなだけ触っていい、と言われ、ぼくはのこのこ部室についていった。


頬をふくらませ、トランペットを吹いている最中に担任の角先生が現れた。
先生はアキちゃんの苗字を呼び、「新入部員か?」と部屋いっぱいにテノールを響かせた。
アキちゃんはその場に立ち上がり、「はいそうです!」と淀みなく答えた。
こうしてぼくは自分の意思と無関係にブラスバンドの部員になった。


アキちゃんは恋多き少年だった。
ぼくとおかつが不注意に歩き出すと、必ず「待て!」と呼び止めた。
アキちゃんは風の匂いを嗅ぎ、雲の流れをじっと見つめる。
全神経を集中してレーダーを回転させているのが分かる。
「よし!」とうなずき歩き出すアキちゃんを、ぼくとおかつがあわてて追いかける。
すると必ず特定の女子が前を歩いた。


女子は同級生のフルートだったり、1級下のクラリネットだったり、短い間にくるくる変わったが、相手が誰であろうとアキちゃんのレーダーは必ずターゲットを捕捉した。
いい年をした今でも、ぼくは超能力を信じている。気功や風水を信じるし、シンクロニシティを信じている。それほどアキちゃんの印象は強烈だった。


アキちゃんがいなければ、ぼくはブラスバンドに入部しなかったし、音楽の世界に魅了されることもなかっただろう。扉の前を素通りしていたにちがいない。
恋多き超能力少年に出逢ったこと自体、小さな奇跡だったのかもしれない。

phptp=霧の噴水と少年(c.nagase)

 

ワイン.JPG

 

シャトー・モンブスケというワインがある。
この白が絶品である。
グラスに注ぐと、妖しい香りが立ち昇る。
「一杯で殺すワインです」
と、東急百貨店の本間敦さんが言った。

音楽を作るとき、ぼくはイントロを重要視する。
はしょってよいものなど何一つないが、それでもイントロは特別だ。
導入部の印象が、曲全体の運命を支配するような気がするからである。

段取り仕事であってはならない。
かといって大げさでもいけない。
ぴたりと決まるサイズ。
はっとするアイデア。
一音一音に必然性のあるイントロを作り出してくれるのが、今回アレンジをお願いした佐々木誠君である。


初めて出会ったとき、彼はまだ大学生だった。髪の長い美少年だった。周囲から「マコリン」と呼ばれ、可愛がられていた。年は若いが、すでに自分のアルバムを持っていた。繊細なキイボーディストだった。紹介してくれたのが、あの小室哲哉さん(!)といえば、実力のほどがわかるだろう。
今回マコリンは、J-POPとジプシーミュージックの融合という課題に全力で取り組んでくれた。楽な仕事ではなかったはずだ、きっと。

コードを展開し、ややもすると動き回ろうとするぼくを、マコリンはその都度やんわりとたしなめた。「ユウちゃん、それじゃあ昭和歌謡になっちゃうよ」
試行錯誤の末、誕生したのが『日本・トルコ友好のテーマ』である。

Em一発で疾走するイントロに鳥肌が立つ。
庄野真代さんにふさわしい、異国情緒漂うJ-POPが仕上がった。
マコリンのアレンジは、シャトー・モンブスケの白に似ている。
「一杯で殺す」技の冴え。
妖しい香りを、楽しんで下さい。

photo=濃厚な白ワインと塩辛(c.nagase)

 

一対の国旗

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屋外国旗.jpg
慰霊碑.jpg
 

 

 

 

 

 

 

トルコ記念館・館内の両国旗            風にたなびく両国旗              慰霊碑

(写真をクリックすると拡大表示します)

 

「トルコといえば、親日国のイメージが強い。宿敵、ロシアを日本が戦争で破ったときは、国を挙げてのお祭り騒ぎだったらしい。明治23(1890)年に紀伊半島沖で遭難したトルコ軍艦を地元の漁民が救助した話は、歴史教科書にも載っている」(「産経抄」2007.7.24)
 

「本州最南端の海」の項で触れた串本町樫野崎には、トルコ軍艦遭難慰霊碑がある。
その隣に「トルコ記念館」。串本町とトルコは、百年以上の長きにわたって友情を温めてきたわけだ。遭難者を助けた人々も偉いが、その恩義を忘れないトルコ人が見事だ。
そういえば、イラン・イラク戦争のとき、イランに取り残された日本人を救出してくれたのはトルコ航空機だった。信義を重んじる
人々なのだろう。
 

串本町役場の濱口さんに案内されて、及川さん夫婦とぼくは「トルコ記念館」を訪れた。
及川さんのブログの読者はよくご存知だろう。彼女の夫エロル君はトルコ人である。
及川さんは目黒以外、イスタンブールにも自宅を持っている。二人は隔月に行き来する地球規模的遠距離通い婚の当事者でもある。
 

館内資料室の天井に、日本とトルコの国旗が並んで掲揚されている。
片や白地に赤い太陽。
片や赤地に白抜きの星と三日月。
「タイガー&ドラゴン」ではないが、一対の意匠のように見える。
及川さんがトルコに伝わる古い伝説を語りはじめた。
今は昔。モンゴル高原に生まれた民族が、西と東に分かれて旅をすることになった。
西をめざす一団は星と月を、東を目指す一団は太陽をシンボルに選び、地球を半周して再会する約束をした。旅の途中、星と月の民はトルコに、太陽の民は日本に定住し、それぞれの国を興したのだという。ロマンチックだなあ。及川さんとエロルは、遠い祖先の記憶に導かれて出会い、恋に落ち、結ばれたのだ。きっと。
 

星と月と太陽がひとつの大地を照らしている。
芭蕉の俳句のような壮大な風景を思い浮かべながら、ぼくの中でトルコがどんどん身近な存在になっていく。

photp=c.nagase

空耳アワー

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こう見えても作曲家のはしくれである。耳には自信がある。 

否、あったというべきか。
最近ぼくの耳は、ぼくの支配を断ち切るそぶりを見せはじめている。

デモテープの制作で酷使した結果、反乱を決意したらしい。
 
いとこの結婚式でのこと。
式場に「勤皇の志士」が現れるという。思い切った演出である。わくわくしながら待っていると、新郎の父が現れた。


 
JRで切符を買おうとしたら、自販機が奇妙なことを言う。「領収書の意味を教えて下さい」。とても一言じゃ説明できない。おろおろするぼくに、機械がくり返す。「領収書の有無をお知らせ下さい」。脅かすなよ。
 
MTVに目医者が出るという。視力検査でもやるのかと思ったら、ミーシャだった。
 
小学生は、小惑星に聞こえる。
高校生は、光合成に聞こえる。
日常生活に詩的世界が混入する。
冷凍麺が第九を歌うというので、びっくりした。何のことはない、ベートーベンだった。
 
羽田からモノレールに乗り、JRに乗り換えようとしたら駅員が馬鹿なことを言う。「あまなっとー、あまなっとー」。クエスチョンマークが五つ並んだ。よくよく聞くと、「はままっちょー、はままっちょー」だった。
 
及川さん!
早くOKを出してくれないと、ぼくの耳は壊れてしまうよ。

photo=東京の雲(恵比寿ガーデンプレイス) c.nagase

通学路

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DSCF1748.JPGのサムネール画像

4メートル道路の突き当りに東陽中学校がある。正門をくぐる道はこれ一本しかない。必然的に朝は込み合う。何しろ900名を超える全校生徒が一堂に会するのだ。鮭の遡上を思わせる光景だった。


中学時代の一番の楽しみは、登下校時に流れる音楽だった。とにかく放送部のセンスがふるっていた。ありきたりの曲ではなく、最新のヒット曲を一週間ぶっ続けに流してくれるのだ。お金のない中学生には、貴重な情報源だった。


たとえばガロの『学生街の喫茶店』を口ずさみながら学校に通う楽しさ。
「ボブディランって何やろ?」
「歌手やろか」
胡蝶蘭でないことは確かである。
吉田拓郎もチューリップも、ぼくはこの通学路で覚えた。


ちあきなおみの『喝采』を聞いたときは、見てはならないものを見てしまったような気がした。小柳ルミ子の『漁火恋歌』はなぜか2日間で打ち切られた。誰かの見識が働いたのだろうか。昨日のことのように覚えている。


アルバート・ハモンドが、ミッシェル・ポルナレフが中学生の胸を打ち抜いてゆく。
サンタナの『哀愁のヨーロッパ』、ジャニス・イアンの『恋は盲目』の衝撃は、いまも生々しい。オリビア・ニュートンジョンの『そよ風の誘惑』が流れたときは心が震えた。


誰も好きな人はいないのに、誰かを好きになりそうな不思議な気分だった。
この通学路で、ぼくの音楽的な嗜好が形づくられたのだと思う。

暗さよりも明るさを。
重厚さよりも軽快さを。
悲しみよりもときめきを。

音楽に即して、自分の性格が形成されたような気がする。
ポピュラーミュージックの種子が心に降り注ぐ、まことに贅沢な日々だった。

 

photo=東陽中学校の通学路(c.nagase)

コンテンツの底力

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東陽中学校の解体工事がはじまった。

昭和11年建築の木造校舎は、四方を足場に取り囲まれても、なお悠然として見える。
巨躯を横たえ、西日に脇腹を照らされている。
あっさりしたものだ、働き通したあなたは、地上に何の未練もないのだろう。

しかし、見送る側はそうはいかない。
中庭の薔薇園も消える。
渡り廊下も消える。
何もかも消える。

DSCF1751.JPG
もたいないねぇ。せめて映像に残したいねぇ、といって有志が集まり、東陽中学校は映画の舞台になった。こうして『海と夕陽と彼女の涙 ストロベリーフィールズ』が完成した。

大それた野心があったわけではない。地元での公開を成功させて、仲間でうまい酒が飲めればいいと思っていた。

 

ところが、三木和史プロデューサーの奔走が功を奏し、映画は各地で上映された。東京、大阪、名古屋、札幌、福井。


 

あろうことか、最後はカンヌ映画祭の会場にたどり着いた。おお、憧れのレッドカーペット!実行委員会のメンバーは、はしゃぐタイミングをつかみ損ねて、最後まできょとんとしたままだった。(実は現場にぼくもいた)
 
母校に撮影隊が来ることは、褒められるべきことか、たしなめられるべきことか。
いまのぼくにはわからない。ただ子供たちには、肩を落として生きるより、胸を張って生きてもらいたい。

 

目の前にあるのは、廊下がきしみ、すきま風の吹くオンボロ校舎でしかない。そこに見学者が訪れ、記念撮影をして帰って行く。痛快ではないか。そのきっかけを作ったのは、1本の映画だ。
 

ぼくたちは、映画制作を通じて、コンテンツの底力を思い知らされた。観客を動員し、DVDを販売するなど、金銭に換算できる活動以上に、参加した人々の意識が高揚し、表情が豊かになるプロセスが新鮮だった。ぼくたちは気づかされた。ふだん何気に見ている風景は、実はかけがえのない風景だったんじゃないか、と。

 
今回の『熊野古道ランドマークソング・プロジェクト』も、映画と同じプロセスをたどることになるだろう。目指すはイスタンブール!

 
このブログは、旅の実況中継でもある。

  

photo=解体工事が始まった東陽中学校の校舎(c.nagase)

 

 

 

 

ベリーダンスが流行るわけ

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田辺祭.jpg

日本の祭囃子の起源は中近東あたりらしい。打楽器奏者の海沼正利さんがそう言った。思い当たるフシがある。

ジプシー音楽で浮かれていると、突然何かを思い出しそうになる。記憶の沈殿物をかき回される気分。

コンコンチキチ、コンチキチ。
コンコンチキチ、コンチキチ。
あれえ?これどこかで聴いたことがある。

夏祭り?
そうだ。天神祭りのリズムだ。

コンコンチキチ、コンチキチ。
コンコンチキチ、コンチキチ。

ハンドルから手を離して、一緒になって踊ったりする。
すれ違う運転手が、あきれた顔でぼくを見る。

天神祭りに限らない。ジプシーのリズムパターンは、日本の祭囃子にそっくりだ。
四分音符の頭打ち。バスドラムと和太鼓のイメージが重なる。

違いは、鋭さ。ジプシーのビートは刃物のように鋭い。手が切れそうだ。これも起源と呼ぶにふさわしい。東に運ばれる途中、水蒸気でふやけてしまったのだろう。

聞けば空前のダンスブームだという。
関係筋によると、都内のダンススクールは、ハンバーガーショップよりも多いらしい。
人気の1位はフラダンス。2位はベリ-ダンス。おおベリーダンス!
今や中近東のグルーヴは、決して遠い存在ではない。

会社帰りのOLは、ジプシー音楽に身をゆだね、激しく身体を揺さぶりながら、遠いふるさとの祭囃子を思い出しているのかも知れない。バルカン半島の彼方に浮かぶ、幻のふるさと。

望郷の念が、人をしてベリーダンス教室に足を運ばせるのか。
石川啄木が停車場に足を運んだように。

ほんまかい!

photo=田辺祭の夜(c.nagase)

路地の記憶

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DSC_3731.JPGのサムネール画像

 

中学生の目に映る田辺の町並みは、ほの暗いワンダーランドだった。


密集する民家は狭い路地に隔てられ、一軒一軒の暮らしが音になり、匂いとなって路上に漂った。

 

テレビ番組の声、子供の名前、食器の触れ合う音まで耳に届いた。プライバシーなど、どこにもなかった。

 

路地は不規則に折れ曲がり、歩けば歩くほど目的地から遠ざかった。いたるところに袋小路が待ち受け、昨日歩いた道がどこかに消えた。魔界の縁を撫でながら、ぼくらは猫のように自由だった。

 

漁師町の迷路は、もっと不気味だった。
行き止まりに半裸の男たちがたむろしていた。不穏な空気が淀んでいた。日に焼けた肌。目が合うと、闇の中から睨まれている気がした。ひぇー。ぼくは怪しい者じゃありません。

 

今から思えば、彼らは単に夕涼みをしていただけなのだ。

けれども中学生の目に映る褐色の男たちは、惑星の運行を阻害する計画を立てているかに見えた。

 

迷宮の町は、今はもう記憶の中にしかない。
湿った土の匂いは、アスファルトの下に消えた。
車道は屋敷町を破壊し、海と駅とを直線で結んだ。
新しい海水浴場は、今年大いに賑わったと聞く。

町は変わる。健康的で快適になる。それは喜ばしいことだろう。ノスタルジィなど屁のつっぱりにもならない。

 

しかし...
 
あの頃身近に感じた異形の存在は、ぼくらの前から姿を消した。
死角に潜む妖怪たちが、全ていなくなるのは淋しい。

この土地がかつて持っていた不穏な空気。逢う魔が時のときめきを、何とか音楽の中に蘇えらせたいと夢想している。

 

photo=古い石垣が残る田辺市内の路地(c.nagase) 

本州最南端の海

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DSCN0516.JPGのサムネール画像

  
国道42号線は蛇行する。
海岸線の形をなぞりながら、アップダウンをくり返し、太陽を求めて南へ走る。

照葉樹林は太古の夢にまどろみ、増殖し、暴走し、海になだれ込む。

森と海の境界線が、国道42号線である。

「絵になるなあ」と及川さんが言う。
片やうっそうと茂る森。
片や陽光にきらめく海。
毛むくじゃらの腕が、ドレスの裾を鷲づかみにするかのようだ。

南国ならではのエロティシズムが漂う。
自然が内包する男性性と女性性が鋭く対立する道を、及川さんのクライスラーが走り抜けて行く。
 
熊野古道をテーマに歌を作る以上、森と海、ふたつの風景ははずせまい、というのがぼくたちの共通理解だった。対称的なふたつの物語が生まれるにちがいない。しかし、何かが足りない。及川さんは、月イチのペースで南紀白浜空港に降り立ち、ぼくたちは海岸線を走り、山深い道を歩いた。
そして...

この日たどり着いた本州最南端の海は、圧巻だった。
樫野崎灯台の手すりに立つと、視界の全てが青く染まった。
足下に黒潮が打ち寄せ、波の飛沫を高く躍らせた。
岬に立つと世界が小さく感じられる。
海をへだてて、対岸は異国なのだ。
世界に届く歌が作りたいね。
ぼくたちは海風にあおられながら、水平線に目を凝らしていた。

photo=串本町大島の樫野崎灯台(c.nagase)

 

1本の電話

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きっかけは1本の電話だった。
作詞家の及川眠子さんが土地を探しているという。しかも、田辺市近郊で。2006年の秋だった。

「こっちに住むんか?」
「週末だけな」

聞けば、平日は東京で仕事をし、プライヴェイトは海を見ながら過したいと言う。パリの建築デザイナーみたいな生活だ。

ええけど、田舎の生活に溶け込むのは大変やぞ。まず友人知己を増やさんとな。そのためには、なんぞ地域の役に立たんとな。云々。

「わたし神輿かついだりでけへんで」
そらそうや。
「あんた作詞家なんやから、地元の歌でも作ったらどうや?」
「そらおもろいな」

こうして『熊野古道ランドマークソング・プロジェクト』の原型が生まれたのだった。

思えば四半世紀前、及川さんとぼくは『マガタマコロコロ』というバンドを一緒にやっていた。都内のライブハウスを荒らしまわった。2年ばかり活動をしたが、毎日女の子に追いかけ回される生活に、いい加減うんざりしはじめていた。こんなはずじゃなかった。静かに音楽を愛したかった。まだ若く、忍耐力のないぼくたちは、いつのまにか解散の2文字を口にしはじめていた。

「やめてどうする?」
「田舎に帰る。田舎に帰って代用教員にでもなる」

そうか、と及川さんは溜息をついた。わたしは残る、と彼女は言った。東京に残って作詞家になると。
その後の大活躍は、周知の通りである。競争の厳しい世界でメキメキと頭角を表し、あっという間に日本レコード大賞をものにしてしまった。驚くべき才能である。

これに対して自分はどうか?代用教員になるためには、教員免許が必要なことを、実家に帰ってから気がついた。その後の紆余曲折は、別の機会に譲ろう。

とまれ、25年ぶりに及川さんと歌を作ることになった。
はしゃぐな、オレ。

大丈夫か、オレ?

photo=田辺市中辺路町の大銀杏(c.nagase

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