こう見えても作曲家のはしくれである。耳には自信がある。耳には自信があるが、目はからきし駄目である。そもそも遠視だった。遠くのものはよく見えるが、近くが見えない。
性格に起因するものなのか。将来の構想はよいのだが、今日の生活態度がよくない。関係ないか。
40歳を過ぎてこの傾向に拍車がかかった。老眼という、イヤーな言葉が頭をかすめる。何が困るといって、本が読めない。文庫本はまずアウト。
しかし、もっとつらいものがある。実は、メールの文字が判読できない。「うれしそうな顔して。コレか?」小指を立てて冷やかされたりするが、断じてちがうのである。
うれしそうな顔をしているのではない。字がうまく読めないのである。
[川崎洋に集合]何のこっちゃ?目を凝らしてナナメから見ると[11時半に集合]と読める。乱視のせいで線が増えるのだ。なにしろ、「ん」と「人」の区別がつかない。ひどくなると、「不公平」が「松平(まつだいら)」に見えたりする。格差社会は松平だらけになる。
それでもメールを手放せない。もはや通信の主流は明らかである。ついていくしかないのである。大事なお仕事だからである。断じて、小指関係ではないのである。
photo=境目がない風景(串本町) c.nagase
このページは、蛯乃木が2007年9月28日 10:55に書いたブログ記事です。
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