全き光、全き闇の概念があればこそ、ぼくたちは木漏れ日や、黄昏の雲や、間接照明の温もりなど、光と影が生み出すさまざまな質感を正しく認識することができる。
マルキン対マルビ、スキゾ対パラノ、なんていうのもかつて流行しました。
要するにモノサシの両端を定めることによって、目の前の現象の意味と強度を測定しようとするわけだ。ぼくたちの世界の理解の仕方がここにある。
「愛」の反対語はふつう「憎しみ」と考えられそうだ。だがこれを否定し、「愛」の反対語は「無関心」だといった人がいる。愛と憎しみは何かの拍子に入れ替わることもあるが、無関心は絶対に愛と両立しない、というのがその理由だ。説得力があると思う。「働き者」の反対語を「お調子者」といった人もいる。「怠け者」は他人の邪魔をしないが、「お調子者」は全体の生産性を阻害する、というのだ。これまた現場の空気がリアルに伝わってくる
「NO」の反対語は何かと訊かれ、そりゃあ「YES」に決まっているじゃないかといったら、いやちがう「OFF」だといわれた。そんなバカな、と問題をよく見たら、ありゃま「ON」をさかさまに読んでいた。反対語の意味がちがっていた。
ではここで問題です。「自由」の反対語は何でしょうか?束縛?うん、普通そう思うよね。ところが、ちがう束縛ではないと、頑として譲らない人々がいる。「自由」の反対語は「指定」であるという。
国語審議会なら何というか、一度訊いてみたいところだ。
photo=何かを言いたそうな枯れ木(c.nagase)
このページは、蛯乃木が2007年10月 8日 10:24に書いたブログ記事です。
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