「自由」の反対語

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何かを言いたそうな木.JPG
たとえば、男と女。光と闇。肉体と精神。
相反する二つの概念を対立させ、その隙間を細かいニュアンスのちがいで埋めることによって、言葉の世界は成立していると思う。


全き光、全き闇の概念があればこそ、ぼくたちは木漏れ日や、黄昏の雲や、間接照明の温もりなど、光と影が生み出すさまざまな質感を正しく認識することができる。

マルキン対マルビ、スキゾ対パラノ、なんていうのもかつて流行しました。

要するにモノサシの両端を定めることによって、目の前の現象の意味と強度を測定しようとするわけだ。ぼくたちの世界の理解の仕方がここにある。
だから対立概念は、上手に作られなければならない。


「愛」の反対語はふつう「憎しみ」と考えられそうだ。だがこれを否定し、「愛」の反対語は「無関心」だといった人がいる。愛と憎しみは何かの拍子に入れ替わることもあるが、無関心は絶対に愛と両立しない、というのがその理由だ。説得力があると思う。
「働き者」の反対語を「お調子者」といった人もいる。「怠け者」は他人の邪魔をしないが、「お調子者」は全体の生産性を阻害する、というのだ。これまた現場の空気がリアルに伝わってくる


「NO」の反対語は何かと訊かれ、そりゃあ「YES」に決まっているじゃないかといったら、いやちがう「OFF」だといわれた。そんなバカな、と問題をよく見たら、ありゃま「ON」をさかさまに読んでいた。反対語の意味がちがっていた。


ではここで問題です。「自由」の反対語は何でしょうか?
束縛?うん、普通そう思うよね。
ところが、ちがう束縛ではないと、頑として譲らない人々がいる。
「自由」の反対語は「指定」であるという。
JR関係者の主張には度肝を抜かれた。
これは正解だろうか?


国語審議会なら何というか、一度訊いてみたいところだ。

 

photo=何かを言いたそうな枯れ木(c.nagase)

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このページは、蛯乃木が2007年10月 8日 10:24に書いたブログ記事です。

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