男の砦
中学一年生のぼくは、「マンダム」
一色に染め上げられていた。
1971年のことだ。
チャールズ・ブロンソンの
テレビコマーシャルが、
それはもう強烈だった。
ブラウン管から放射される
オーラの強さは、
尋常のものではなかった。
「ウーン、マンダム」
いま思い出しても、
足の裏がむずむずする。
オオノヒロシ君は、ブロンソンの
物真似が上手だった。
それだけで、ぼくはオオノ君が
大好きだった。
「アゴになんかついてるで」
「えっ?」
相手がアゴに手をやると、オオノ君がすかさず決める。
「ウーン、マンダム」
ぼくはうれしくて飛び跳ねてしまうのだった。
とにかくヒゲがほしかった。
毎日鏡を見ても、ヒゲが生えてくる気配はなかった。
とうとう待ちきれなくなった。
ぼくは画用紙とマジックでヒゲを作り、
鼻の下にセロテープで止めた。
「ウーン、マンダム」
それを見たウエダキヨシ君が、
自分にもヒゲを作ってほしいと言い出した。
ぼくはウエダ君にヒゲを作ってあげた。
「ウーン、マンダム」
ぼくたちは全速力で自転車を漕いだ。
頭の中では、砂漠を馬で駆け抜けていた。
あの頃、ぼくたちの世界に、異性は存在しなかった。
女子に関心を持つことは、何か汚らわしいことに思われた。
ぼくたちは男の砦の住人だった。
毎日が満ち足りていた。
その後、砦はあっという間に崩壊するのだが、
異変を予知する者はなかった。
楽園を追われる前。
ぼくは、チャールズ・ブロンソンのヒゲに夢中だった。
photo=古い看板(c.nagase)
「男の砦」もそうだけど「ピンクの電話の怪」もたまりません。
30年以上前にワープしてしまいそう。
「ウーン、マンダム」
紫竹さま
30年前、ぼくらは何であんなに色んなものに夢中になれたのでしょう。
メンコの代わりに牛乳のふたを集めたことがあります。
強いふたは少年の羨望の的でした。
牛乳のふたでさえ、貨幣と同じ価値を持ったりすることがあります。
あの頃のテンションはどこにいってしまったのか?
だらけた自分にけりを入れたいと思っています。
そうだった。そうだった。
牛乳屋さんが町にたくさんあって、
ふたをもらいに行きました。
授業の合間の10分だったか、15分だったか
毎日、あきずにふためくりをしました。
輪ゴムも遊びもありましたね。
素朴な玩具しかなかったことは、
かえってぼくたちの幸福だったかも知れません。
みすぼらしい現実を、イマジネーションで飾り立てるコツを学んだ気がします。
ごっこ遊びを通じて、仮想現実の中に自由に出入りすることができました。
期せずして、シュタイナー教育を受けたようなもの。
昔の子供が元気だった理由は、案外こんなところにあるのかも知れません。
マンダムのことを職場で話題にしていたら、いつの間にか「ウーン、マンダム」を唱和していました。
隣の大阪弁のおっちゃんが言うには、昔大阪経済部で仕事していたとき、取材で「ウーン、マンダム」の人とよくであったんだけど、全然「ウーン、マンダム」じゃなかった。あの会社は丹頂チックだったのよね。
生活必需品でもない「マンダム」がなぜあんなに流行したのか、
いまだに不思議でなりません。
その後やってきた「紅茶キノコ」のブームも奇怪なものでした。
どう考えても、あれは口にしてはいけないもののような気がします。
過去を振り返ると、わけのわからないことだらけです。
自分史上、最もわけのわからない「スプーン曲げ」と「ノストラダムスの大予言」については、
近々「ほんまかい」で取り上げたいと思っています。