2007年11月アーカイブ
世の中には二通りの人間がいる。念力でスプーンを曲げようとしたことのある者と、それ以外だ。自分も含めて、昭和30年代生まれの大半は、前者に属するのではないだろうか。
ぼくたちの世代は、大阪万博と列島改造ブームをリアルタイムで知っている。同時に石油ショックも知っている。トイレットペーパーの買占めを手伝わされたこともある。社会不安を加速するように、その直後に訪れたオカルトブームがすさまじかった。ユリ・ゲラー。エクソシスト。ノストラダムス。おお、何という濃い顔ぶれ! 超能力と、悪霊と、人類の滅亡。十代の感受性に、決定的な影響を与えた。
仮に念力でスプーンが曲がるとして、そこにどんな意味があるのだろうか。その力を社会の役に立てようという人は少ないだろう。念力で曲げるより、手で曲げるほうが何倍も仕事が速いからだ。自分の中に未知の力が眠っている驚きだろうか。特別な存在になれた喜びだろうか。カレースプーンの首を指先でこすり続ける情熱は、明るく前向きな情熱ではなかった気がする。むしろ、手に負えない現実を想念の力で捻じ曲げようとする、幼児的な願望に結びついていたような気がする。
幼児性とニヒリズム。
この二つがぼくたちの世代の特徴だ。
少なくともぼくにはその傾向がある。
環境破壊にしても、国際紛争にしても、
やりきれないニュースが報道されるたび、
『ノストラダムスの大予言』が脳裏をかすめる。
だから目の前の現実に、自分の全財産を賭けることができない。
かといって世俗を超越することもできない。
バブルの大波がきたとき、
先頭に立って踊り狂ったのもぼくたちの世代だ。
順風のときも、逆風のときも、
用心深く個のシェルターで身を守ろうとする。
丘の上の樹木の陰。
小さな家屋に、選りすぐりの調度品を並べようとするのがぼくたちだ。
1999年7の月が来ても、幸いなことに人類は滅亡しなかった。
スプーン曲げに成功した同級生もいない。
1973年のぼくから見れば、35年後の現実は想定外といえなくもない。
幼児性とニヒリズムの処世術は、
そろそろ再構築されてもいい頃だ。
精神に空白地帯を残したまま年老いていくのはみじめだ。
何よりも、未熟な年寄りに行く手をふさがれたのでは、
後から来る世代が救われない。
転轍機のハンドルを切るときが来たのかも知れない。
多少重くても。すっかり錆び付いていたとしても。
photo=斑入りの葉とキバナコスモス(c.nagase)
「ゆきあいの空」とは、「ある季節が去り、次の季節に移り変わろうとするころの空のことですが、多くの辞書は、特に夏と秋の「ゆきあい」を指しています。
(倉嶋 厚『癒しの季節ノート』)
この季節の空は至ってにぎやかだ。
夏と秋が混在して、入道雲と、筋雲と、うろこ雲が
ひとつの空に同居する。
雲の動きに呼応するかのように、
人々のファッションも多様になる。
ひとつ前の季節と、ひとつ後の季節が
同居するので、
街行く人の衣装がバラバラになる。
夏にしがみつく人もいれば、
冬を先取りする人もいる。
明日何を着れば良いか、
頭を悩ますのもこの季節だ。
裏地のないスーツが微妙に心細くなってくる。
かといってニットが汗ばんだりもする。
衣替えが確定するまで、
不安定な選択が続く。
衣類は重さだと思う。
手に持った衣類の重さがしっくりくるとき、
ひとつの季節に区切りが生まれる。
夏に着たシャツが薄くて軽くて頼りない。
逆に合い物のスーツの重さが手にしっくりなじんだりする。
新しい季節が重量に換算される面白さ。
夏が終わり、秋が通り過ぎて、
衣類の選択に落ち着きを取り戻すのはいつだろう?
ぼくの場合ははっきりしている。
それは飲料の自販機が、冷蔵から温蔵に変わるときである。
「つめた~い」と書かれた青いラベルが、
「あたたか~い」と書かれた赤いラベルに変わる瞬間。
街全体が寒色から暖色に変わる気がする。
舞台装置が転換するように美しい。
この日を境に、ぼくのクローゼットは冬物一色になる。
photo=足元の虹(c.nagase)
自分の中にけちくさい自分がいる。
これは動かしようのない事実だ。
エレベーターがなかなか来ないとき、あの三角ボタンを何回も押してみたりする。かちゃかちゃと空しい音がする。ふとわれに返り、思わず周囲を見渡す。人目を気にするあたりがみみっちい。
歯医者さんでレントゲンを撮るとき、
台紙を自分の指で固定する。
「動かないで!」
と歯科助手が言う。
動いてはいけない!
そう思った瞬間、
緊張のあまり動きそうになるのは、
ぼくだけでしょうか。
それにしても、
自分がみっともない男だと気がついたのは、
国際線の飛行機の中だった。
国際線の飛行機って、なんであんなに
食事の回数が多いんだ?
プリッツエルみたいなものでビールを飲んだかと思うと、
いきなり食事が出てくる。
背の高いワゴンを押しながら、
キャビンアテンダントが近づいてくる。
「ビーフ・オア・チキン?」
乗客の一人ひとりに確認しながら、
それはもうゆっくり近づいてくる。
このときハラハラしませんか?
ぼくはハラハラする。
全員がビーフを注文し、
ぼくのところで品切れになるような気がする。
だから周りの人の注文が気になって仕方がない。
あせって中腰になったりする。
「大丈夫ですって」
旅慣れているハラ君がぼくをたしなめる。
ビーフもチキンも人数分用意されているという。
もしも全員がビーフを注文しても
品切れになることはないという。
ふーん。そんなものか。
だとしたら、新たな疑問がわいてくる。
あまったチキンはどうなるのだ?
全部捨てられてしまうのだろうか。
乗客が満遍なく両方を注文すれば、
食材の無駄は大きく削減されるのではないか。
食料資源の大盤振る舞いを見過ごしてはならない気がする。
そこでぼくは考える。
ビーフかチキンか。
周囲の声を数えながら、
バランスを取るために敢えてマイノリティの側に立つ。
結果的にチキンを注文することになる。
本当はビーフを食べたかったよなあ、などと思ったりする。
いちいち後悔するあたり、どうしようもなく人間が小さい。
photo=ボトル(c.nagase)
日置川の河口に残る古い町なみ。
地名は日置(ひき)
これほど絵になる場所は少ない。
白壁の土蔵を起点に、格子戸が軒を連ね、
その突き当りに海がくる。
時間旅行者になった錯覚におちいる。
理髪店のねじり飴。ホーローの看板。
どの家もアルミのサッシや新建材が
注意深く排除されている。
コロニアルスタイルの郵便局は、
壁の塗料がまだ若い。
メンテナンスが行き届いているので、
古い建物の一つひとつが呼吸をしている。
この町は、偶然の産物ではない。
住民が自らの手で時の流れを止め、
記憶の中の風景を守ってきたことがわかる。
道端でおばさんが猫に餌を与えていた。
小さな茶トラと、太った三毛猫。
キャットフードを鉄菱のようにまく。
前足で囲い込もうとする二匹の猫。
あまり面白いので、ケータイのカメラを向けた。
首をもたげ、ぼくに気づいた
三毛猫がこちらに近づいてくる。
こんなに人なつっこい猫は初めてだ。
画面にうまく収まってくれない。
三毛猫はしっぽをピンと立て、
ぼくの膝に体を擦りつけてくる。
「お前どこから来たんな」
と、おばさんが猫に声をかけた。
「ここの猫とちゃうの?」
「誰かが捨てて行ったんや」
意外だった。おばさんの猫だとばかり思っていた。
「いつ頃?」
「一ヶ月前」
三毛猫はぼくの足下にうずくまってしまった。
くるぶしに背中を押し当て、一向レンズを見てくれない。
ゆっくり陽が傾いていく。
光線の量が足りない。
「こらアカンわ」
おばさんが笑いながらうなずいた。
写真をあきらめ、その場を離れることにした。
五時になった。ぷぁんと警笛。
スピーカーから『夕焼け小焼け』が流れてくる。
子供は家に帰る時間だとか何とか言っている。
子供なんてどこにもいないじゃないか。
いるのは年配の歩行者ばかりだ。
首からタオルを下げ、どこまでも歩いてゆく。
海に目を向けると、雲間を抜けた太陽が水平線に触れようとしている。
振り向いた空が明るい。
中天の月が白銀に輝いている。
河口を染めて、夕陽が海に沈む町。
日置という地名は、目の前の水平線からきたのだろうと、このときストンと腑に落ちた。
photo=日置の町中で(c.nagase)
東陽中学の通学路で聴いた歌の中に『落ち葉のコンチェルト』がある。
1973年、アルバート・ハモンドのヒット曲。
毎年この季節になると思い出す。
You turned me on
so bad that there was only
one thing on my mind
An overnight affair
was needed at the time
君は僕をとりこにした
だから僕の心にあったのは
ただひとつのことだけ
一夜の出来事
あのときは
そうせずにいられなかった
(翻訳/松本剛史)
そうでなくても、秋はもの悲しい。
心の中に水がたまったように不安定になる。
無性に人恋しくなったり、甘いものを食べたくなったりする。
枯葉が舞う季節は、なおさらだ。何故だろう?
樹木は、冬の寒さから身を守るために木の葉を落とす。
生命活動(光合成)を停止して、長い眠りにつこうとする。
人間の体内でも、似たような現象が起きているのではないか。
樹木が木の葉を落とすために出す指令は、
人間でいえば、自律中枢が発する神経伝達物質に相当するものだろう。
ぼくたちの脳も、太陽と自分の距離を測定しながら、
恒常性を維持するために、さまざまな指令を出してくる。
ドーパミンや、ノルアドレナリンや、テストステロンを放出しながら、
環境の変化に適応させようとする。
突然心細くなったり、感傷的になったりするのはその副作用だ。
面白いことに、『落ち葉のコンチェルト』の原詩に
秋という言葉は出てこない。
けれどもアルバート・ハモンドは、
樹木があかあかと紅葉するように、全身全霊で愛を歌い上げる。
その激しさに、圧倒されそうになる。
For the peace
For the peace
For the peace of all mankind
Will you go away?
Will you go away?
Will you vanish from my mind?
Will you go away and close the bedroom door
And let everything be as it was before?
平和のために
平和のために
人類すべての平和のために
出ていってくれないか?
出ていってくれないか?
僕の心の中から消えてくれないか?
寝室から出ていって、ドアを閉めて
何もかも以前のままにもどしてくれないか?
「For the peace」と何度もくり返す意味が、
当時はまったく理解できなかった。
反戦歌の一種かと思ったくらいだ。
とんでもない勘ちがいだった。
全人類の平和と引き換えでなければ、
到底受け入れることのできない別れ。
切ない歌だ。
この年になっても、神経伝達物質が総動員されそうになる。
photo=屋根に積もったイチョウ(c.nagase)
『奇跡の森』のプロモーションのために、及川さんと二人で和歌山放送を訪ねたら、土橋ディレクターの計らいで『つれもてサタデー』という番組に生出演することになった。
小田川和彦さんと赤井由賀里さんの番組だ。スタジオ内全員B型。無政府状態で番組が進行した。定番の番組の隙間をぬって話を聞いてもらうスタイル。打ち合わせも何もない。早い話がぶっつけ本番である。
途中ニュースが読み上げられた。
騎手の武豊が三千勝したという。
小田川さんと赤井さんが手を叩いた。
つられてぼくたちも拍手した。
この拍手に、小田川さんが反応した。
「及川さんも競馬がお好きなんですね」
「いえ、わたしは」
及川さんは顔の前で手を振った。
「競馬のことはわかりません」
逃げたらアカン、及川さん。
「じゃあエビノキさんは?」
と、小田川さんがぼくを見た。
競馬のことはさっぱりわかりません!
と、正直に答えるべきだった。
しかしながら。
ぼくたちはうれしそうに拍手なんかしてしまった。
つじつまが合わないじゃないか。
ここはひとつ、フォローしたほうが良いのではないか。
と、愚かな考えが頭をもたげた。
もったいをつけながら、こう言った。
「ぼくは、馬が好きなんです」
うまくごまかしたつもりだった。
ところが、赤井さんの目が輝いた。
「どんな馬が好きですか?」
まずい。まさかシマウマです、とも答えられない。
「なにせ、昔のことですから・・・」
わけのわからないことを口走っている。
小田川さんが助け舟を出してくれた。
「ディープインパクトなんてどうですか?」
言葉につまった。
ディープインパクト?
どんな馬でしたっけ?
助け舟が助けにならない。
「あれは・・・」
必死で言葉を探した。
「あれは・・・インパクトがありました・・・」
スタジオの中がシーンとした。
チッ。すべったぜ。
photo=和歌山城の虎(c.nagase)
生まれて初めて乗った飛行機がYS11だった。十代の終わりだったと思う。南紀白浜から羽田に向かう便だった。スカイメイトを利用した。
ぼくはそれまで飛行機というものに、美しい幻想を抱いていた。子供の頃夢中になった模型飛行機のイメージ。風と戯れ、気流を友とする優雅な翼。大空に吸い込まれていく喜びに身を委ねたいと思っていた。
ところが現実は、そのように甘美なものではなかった。そもそも座った場所がよくない。主翼のつけ根だった。プロペラの回転音がまともに聞こえてくる。
離陸が近づき、エンジンが全開になる。
もうなんというか、人間なら血管が切れそうな感じ。
轟々たる機械音が、大気を切り裂く金属音に変わる。
「すいません。降ります」と心の中でつぶやく。
離陸した。
よっこらしょっと機首を上げ、ああしんどと機首を戻す。
空気の中をよじ登っていく。
一直線に上昇するのではなく、
尺取虫のように高度を積み重ねていく。
腋の下を冷たい汗が流れた。
金比羅山にお参りする年老いた巡礼のようだ。
やれやれと腰を伸ばしたら、
まっさかさまに墜落するのではないか。
串本沖で水平飛行に移った。
凸凹道を走るような振動が止まらない。
もう二度と悪いことはしませんと、神仏に誓った。
祈りも空しく、エアポケットは箱根上空で待っていた。
底が抜けたように、すとんと機が落ちた。
三秒近く落下した。
座席から尻が浮く。
内臓を残して、肉体だけが落下する。
竹輪の気持ちがよくわかる。
乱気流に翻弄されながら、機は内陸の空をよじ登る。
足を滑らすみたいに、また落下する。
このくり返しになった。
墜落するかも知れない。
そのとき脳裏をよぎったものは・・・
しまった!
エロ本を片づけてこなかった!
下宿に残してきた様々なポルノグラフィ。
あれが人目に触れるのだけは耐えがたい。
年頃の男子なのだから、色気づくのは仕方がない。
それにしても、ぼくのコレクションの中には、
口にするのもはばかられるようなタイトルが混じっていた。
ここで死んだら、あの恥ずかしい写真集が遺品となる。
死にたくない!
と、ぼくは心の中で叫んだ。
妄執妄念が乱気流に打ち勝ったのか。
YS11は羽田に着陸し、ぼくは無事に帰還した。
下宿にたどり着くなり、件の書籍を処分した。
日常生活に戻り、エアポケットの恐怖を忘れかけた頃、
猛烈な後悔に襲われたことはいうまでもない。
photo=紀伊半島上空から(c.nagase)
ショウコさんが学校を休んでいるという。
これは一大事だ。
久しぶりにアキちゃんから呼び出しがあり、
黒縁メガネのおかつと三人で
ショウコさんのお見舞いに行くことになった。
中学三年生になって、
ぼくたちは別々のクラスになった。
ショウコさんは、アキちゃんのクラスメイトであり、
ぼくとおかつにとっては生徒会の仲間だった。
三人共通のアイドルだった。
ここはひとつ、好印象を残しておきたい。
さっそく作戦会議になった。
お見舞いに何を持っていくか?
ことの成否はこの一点にかかっている。
お花、果物、書籍類。
どれもいまいちパッとしない。
もっと心に響く贈り物はないものだろうか。
あっ、そうだ!
「レディボーデン!」
レディボーデンがあった!
この当時、レディボーデンの魅力を
どう説明すればよいものか。
ジャズにおけるチャーリー・パーカーのような
プラモデルにおけるエッチングパーツのような。
器械体操における月面宙返りのような。
とにかくその前と後では種目の水準が変わってしまうような、
劇的な登場の仕方だった。
ショウコさんの自宅は、闘鶏神社の脇にあった。
ジャンケンの結果、訪問役はおかつに決まった。
アキちゃんとぼくは、
桜の木陰から事のなりゆきを見守った。
玄関に立つおかつを、
ショウコさんのお母さんが出迎えた。
二言三言、やりとりをしている。
そうだ、おかつ!
レディボーデンを渡してすぐ戻ってこい!
え?
おかつが靴を脱ぎはじめた。
そのまま上がりこんでしまった。
さんざ待ちくたびれた頃、
ほうほうの体でおかつが出てきた。
ショウコさんに会ったのか?
ショウコさんには会ってない、とおかつが答えた。
じゃあ何をしてたんだ?
応接間でお父さんに会ってきたと言う。
お父さん?何故だ?
おかつも首をかしげている。
後にショウコさんが教えてくれた。
ショウコさんのお母さんは、娘の同級生を
なぜかご主人の来客と思い込んだらしい。
おかつを応接間に通し、ご主人の帰りを待たせた。
「すいませんねぇ。もうすぐ仕事から戻りますので」
仕事?その時点でおかしいと思わなかったのだろうか。
不思議な展開に異議を唱えず、
おかつはひたすら父上の帰りを待ち続けた。
膝をそろえて、背筋を伸ばして。
応接間で一人かしこまるおかつのことを考えると、
今も笑いがこみ上げてくる。
それにしても、だ。
学生服の中学生が、
レディボーデンを下げて消防署長を訪ねて来る、
なんてことが現実にありえるだろうか。
ご両親にとっても、シュールな一日だったにちがいない。
photo=闘鶏神社のモニュメント(c.nagase)
ぼくが中学生だった頃、
田辺には五軒の映画館があった。
市街地の中心にあったのが『葵劇場』
ぼくはここで『小さな恋のメロディ』を観た。
一緒に見たマナゴ君は、二度目か三度目だった。
絶妙のタイミングで画面を解説してくれる。
主人公を含む女子のグループが、
墓地でアイドルのポスターを広げる。
誰かにキスされたそのアイドルは、
ミック・ジャガーというロックスターらしい。
イギリスには階級制度が残っていること。
若者が閉塞感を味わっていること。
全部マナゴ君が教えてくれた。
トレイシー・ハイドの(英語の!)発音を賞賛したあと、
この年代は女子の成長が早いから、
マーク・レスターが弟のように見えるじゃないか、
とマナゴ君は言った。
映画よりも面白かった。
置屋のならぶ花街の角に、『トキワ座』があった。
ぼくはここで『ゴッドファーザー』を観た。
初めてのデートだった。
ぼくはミゾバタ君を連れ、
彼女はハヤシさんを連れてきた。
デートにもかかわらず、
男子と女子は離れて座った。
こんなはずではなかった。
映画がはじまった。
これでもか、というくらい残酷な場面が続いた。
ドン・コルレオーネの長男が銃撃されるあたりから、
彼女は下を向いてしまった。
映画が終わるまで、彼女は顔を上げなかった。
今でもニーノ・ロータのテーマ曲が流れてくると、
泣きそうな初デートを思い出す。
映画の中身は思い出せない。
『ハリウッド』では『仁義なき戦い』シリーズを観た。
『住吉座』では『男はつらいよ』シリーズを観た。
『錦輝館』では(高校生になってから)
『未亡人下宿』シリーズを観た。
何だ。娯楽作品ばかりじゃないか。
三十年後、ぼくは『カンヌ映画祭』に参加した。
信じられない幸運だった。
調子に乗って、浮かれていたのだろう。
帰国後、とある女性を映画に誘った。
彼女は「カリウスマキはお好きか?」とぼくに訊いた。
そんな人は知らない。
仕方がないので、カルメンマキの話でお茶を濁した。
まるきり馬鹿である。
『ゴッドファーザー/愛のテーマ』が心に流れた。
photo=壁に寄り添うツタ(東京・上野で) c.nagase
「熊野とは何か?」
と誰かに訊かれたら、
ぼくは牛尾武さんの図録を示し、
次のように言うだろう。
「それは特定の場所ではなく、
ものを見る態度のことです」と。
『成川美術館コレクション』という図録の中には、
ため息の出るくらい美しい絵が並んでいる。
闇を内蔵する森と、陽光きらめく海がそこにある。
珠玉の作品群の中で、
もっとも熊野らしい絵を選べと言われたら、
ぼくは『秋夕』という作品を選ぶ。
そこには富田川の下流の風景がある。
森でも海でもなく、川。
いわゆる熊野らしさとは一線を画しながら、
この絵はぼくたちに熊野の本質を語りかけてくれる。
季節は十月の終わり。
場所は国道42号線。
渋滞に巻き込まれた車の運転席から、
ふと見た河川敷が異様に明るい。
富田川の河口に夕陽が沈もうとしているのだ。
牛尾さんの筆はこの一瞬をとらえる。
視界に入るもの全てを見落とすまいとする強靭な意志が、画布を通して伝わってくる。
フラクタル幾何学が教えるように、
自然界に存在するものは無限の表面積を持つが、
牛尾さんの筆先はひるまない。その陰影をひとつ残らず写し取ろうとする。
圧倒的なエネルギーが、絵に対峙する者の感受性を清らかにする。
目に見えぬ精霊の祝福のようだ。画面全体が金色に輝いている。
川面だけでなく、河原の小石もススキの群生も、
何もかも金色に輝いている。
空気そのものが発光しているかのようだ。
牛尾さんがこの絵を描かなければ、
富田川の河口などありふれた風景に過ぎなかった。
絵の素材になるなんて誰も想像しなかった。
けれども牛尾さんは、
人間の五感の極限を開示することによって、
どこにでもある風景を神秘的な光で満たした。
もっと言えば、ぼくたちの無意識の中から誰も知らない美を取り出した。
あふれる光に照らされれば、あらゆるものが輝くだろう。
そこには聖も俗もなく、浄も不浄もない。
目に映るものすべてがまぶしく輝く。
これが熊野らしいと、ぼくには思える。
『秋夕』を見ていると、ぼくはM・プルーストの言葉を思い出さずにいられない。
牛尾武さんの仕事の本質を語って、余すところがないからだ。
「真の発見への旅は、新しい風景を探し求めることではなく、新しい見方をもつことにある」
(作品=牛尾 武 氏 『秋夕』)
その昔白浜温泉は、
場所だったらしい。
京阪神から陸路田辺へ。
ここで船に乗り換え、
田辺湾を横断し、
臨海の桟橋に上陸する。
ぼくたちが高校生の頃は、
白浜~田辺間の定期
航路がまだ残っていた。
1学年下のシゲキは、
白浜中学の出身だった。
この学年で一番の
ギターの名手だった。
どんなメロディにでも、
その場でコードを付けてしまえる
才能の持ち主だった。
ぼくは(なかば強引に)シゲキをレコーディングに誘った。
かれは船で通学していた。
放課後ぼくの部屋でトラックを作り、
夕方シゲキを桟橋まで送る。
これが2人の日課になった。
日没が最終便の時間だったが、
船長は乗降客の顔を覚えているので、
全員そろうまで船を出さない。
汽笛を鳴らして、出港が近いと合図する。
ぼくは後部座席にシゲキを載せて、
必死になってペダルを漕いだ。
すいませーん!
もうちょっと、もうちょっとだけ待ってくださーい!
懐かしい連絡船は、もう存在しない。
港を歩いても、桟橋がどこにあったか痕跡も残っていない。
わずか30年ばかりの間に、
ぼくたちは多くのものを失くしてしまった。
これは田辺だけにかぎらないだろう。
日本人は経済的な成功と引きかえに、
多くのものを捨ててしまった。
その中には、取り返しのつかないものも含まれている。
いま熊野が評価される機運があるとすれば、
それは人々が熊野に日本の原風景を重ねて見るからだと思う。
ぼくたちが失ったものは、
実はぼくたちの未来に必要なものばかりだった。
だからこそ、記憶の中の風景は切ないくらいに美しい。
今回、庄野真代さんがとても印象的な言葉をくれた。
『奇跡の森』の録音中、
スタジオにNHKの取材が入ったときのこと。
インタビューに答えて、庄野さんはこう言った。
「(熊野を歌うことで)新しい発見と、懐かしい発見がありました」
そうか。熊野に向き合うことは、日本の過去に向き合うことであり、
熊野を歌うことは、日本の未来を歌うことだったのか。
庄野さんの言葉は、ぼくの心にいつまでも消えない余韻を残した。
photo=桟橋があった田辺市扇ケ浜から白浜を望む(c.nagase)
レコーディングの合間に馬鹿話をする。
内心それどころじゃなくても、
全員つとめて明るくふるまう。
イレギュラーバウンドのボールを処理しながら、
職人たちは淡々と仕事をこなしてゆく。
今回エンジニアをお願いした中里茂さんは、
この道30年のベテランだ。
新人作曲家の緊張をほぐしながら、
現場をぐいぐい引っ張っていってくれる。
以下は中里さんから聞いたエピソード。
ミュージシャンというものは、担当する楽器によって
それぞれ個性が大きく分かれる。
たとえば、ストリングスは真面目な人が多い。
スタジオに来ても、
冗談を言ったりげらげら笑ったりしない。
新聞を広げていたりする。
怖い人も多いらしい。
約束の時間が来たら、テイクの途中でも
楽器を片付けはじめたりするという。
確かに我々バンドマンとは、
発信している電波の周波数がちがう。
ロンドンでもニューヨークでも同じだ、
と中里さんは言う。
ブラスは助平だ。
とにかく女が好きだと、中里さんは言う。
女が嫌いな男がいるとは思えないが、
それにしてもレベルがちがう。
軟式と硬式のちがいがある。
金管木管の諸先輩の顔を思い浮かべる。
当たっているかもしれない。
リズム隊は酒飲みだ。
ドラムスにしても、ベースにしても、リズムギターにしても、
例外なく酒好きだと中里さんは言う。
「昨夜飲みすぎちゃってさあ」
などと言いながらスタジオにやって来て、
録音が終わるとまた皆で飲みにいったりする。
ぼくが個人的に親しくなる人は、なぜかリズムセクションの人が多い。
かれらは確かにお酒が好きだ。
理屈っぽい話はしない。
誰かの噂話をしながら、ベロベロになるまでつき合ってくれる。
ロンドンでもニューヨークでも同じだ、と中里さんは言う。
なるほどなぁ、と感心しながら聞いていた。
そして今思う。
この話は作り話かも知れない、と。
世の中のミュージシャンは、神経質と助平と酔っ払いの3種類?
そんな馬鹿な。
レコーディング3日目。
不測の事態が発生し、
1曲丸々トラックを修正しなければならないことが判明した。
ぼくは呆然と立ち尽くしていた。時間がない。
青ざめる新人を正気にするために、中里さんは機転をきかせた。
とっさの思いつきで、周囲を笑わせた。
笑ったとたん、ぼくたちの足は地に着いた。
とにかく最善を尽くすしかない。
佐々木誠君の(文字通り)不眠不休の努力の結果、
楽曲はみずみずしく生まれ変わった。
5日間にわたるスタジオ作業中、
現場の空気が淀むことは1度もなかった。
不思議な一体感が持続した。
中里さん、ありがとうございました。
「ロンドンでもニューヨークでも」には笑ってしまいました。
photo=丸と三角(c.nagase)
「フリーター」という呼称が、
よろしくないのではないか。
何か、軽やかである。
颯爽としている。
銀盤の上を滑る、
「自由の使徒」というイメージがある。
フリーターが減少しないのは、
名前がかっこよすぎるからではないか。
ためしに明日から、
フリーターという呼称を廃止する。
かわりに「プータロー」と呼ぶことにする。
新聞の見出しはこんな感じになる。
「厚労省 プータロー就職を支援」
これは情けない。
石もて追わるる感じがする。
何が何でも就職しよう、
という気になるのではないか。
ちなみに、厚労省によると、平成18年のフリーター人口(15~34歳)は187万人。
このうち、25~34歳の「年長フリーター」は、5年連続90万人台と高水準で推移しており、
対策が急務になっているという。
前にも書いたが、25歳のぼくはプータローだった。
夜寝たいときに寝て、朝起きたいときに起きる。
ズボラにぐうたらを接木したような生活。
お金がなくなると、しぶしぶアルバイトをさがす。
嫌々働くのだから、仕事が楽しいわけがない。
職場や人間関係から何も学ばない。
好き勝手をしているくせに、毎日が苦しかった。
自由を求めているのに、どんどん自由から遠ざかってゆく。
どこで道をまちがえたのだろう?
ぼくは途方に暮れていた。
その頃、ぼくは経済的に行き詰るだけでなく、
自尊心を失いかけていた。
はるか後年。サン・テグジュペリが小説『夜間飛行』の序文に引いた
アンドレ・ジッドの言葉を見つけたとき、ぼくは思わずひざを叩いた。
ぴょこん、と足が飛び出した。
いま深い共感をこめて、25歳の自分と90万人の「年長フリーター」の人々に、
その言葉を捧げたいと思う。サン・テグジュペリは言う。
「人間の幸福は、自由の中に存在するのではなく、
義務の甘受の中に存在するのだという事実を、
明らかにしてくれたことを感謝する」
photo=キャッチボール(湘南海岸)c.nagase