秋夕

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「熊野とは何か?」

秋夕.jpgと誰かに訊かれたら、
ぼくは牛尾武さんの図録を示し、
次のように言うだろう。
「それは特定の場所ではなく、
ものを見る態度のことです」と。

 

『成川美術館コレクション』という図録の中には、
ため息の出るくらい美しい絵が並んでいる。
闇を内蔵する森と、陽光きらめく海がそこにある。
珠玉の作品群の中で、
もっとも熊野らしい絵を選べと言われたら、
ぼくは『秋夕』という作品を選ぶ。
そこには富田川の下流の風景がある。
森でも海でもなく、川。
いわゆる熊野らしさとは一線を画しながら、
この絵はぼくたちに熊野の本質を語りかけてくれる。

 

季節は十月の終わり。
場所は国道42号線。
渋滞に巻き込まれた車の運転席から、
ふと見た河川敷が異様に明るい。
富田川の河口に夕陽が沈もうとしているのだ。
牛尾さんの筆はこの一瞬をとらえる。
視界に入るもの全てを見落とすまいとする強靭な意志が、画布を通して伝わってくる。

フラクタル幾何学が教えるように、
自然界に存在するものは無限の表面積を持つが、
牛尾さんの筆先はひるまない。その陰影をひとつ残らず写し取ろうとする。
圧倒的なエネルギーが、絵に対峙する者の感受性を清らかにする。
目に見えぬ精霊の祝福のようだ。画面全体が金色に輝いている。
川面だけでなく、河原の小石もススキの群生も、
何もかも金色に輝いている。
空気そのものが発光しているかのようだ。

 

牛尾さんがこの絵を描かなければ、
富田川の河口などありふれた風景に過ぎなかった。
絵の素材になるなんて誰も想像しなかった。
けれども牛尾さんは、
人間の五感の極限を開示することによって、
どこにでもある風景を神秘的な光で満たした。
もっと言えば、ぼくたちの無意識の中から誰も知らない美を取り出した。
あふれる光に照らされれば、あらゆるものが輝くだろう。
そこには聖も俗もなく、浄も不浄もない。
目に映るものすべてがまぶしく輝く。
これが熊野らしいと、ぼくには思える。

 

『秋夕』を見ていると、ぼくはM・プルーストの言葉を思い出さずにいられない。
牛尾武さんの仕事の本質を語って、余すところがないからだ。

 

「真の発見への旅は、新しい風景を探し求めることではなく、新しい見方をもつことにある」

(作品=牛尾 武 氏 『秋夕』)

コメント(2)

1150 :

ゆういちさま

最初から タイトルに興味のあるブログを拝見し
ここで止まって 考え込んでしまっています。

「熊野とは何か?」
自分にとっての熊野 どう説明すればいいのか?難しく考えすぎなのか?
でも 何も出てこない?
ただ 田辺市内よりも 熊野の方が落ち着き 
時がゆっくり流れているように思えてなりません。

『秋夕』アキユウって読むのかなぁ?
そしたら 『冬夕』『春夕』『夏夕』ってあるのかな 何て考えてしまって。。。

M・プルーストの
「真の発見への旅は、新しい風景を探し求めることではなく、新しい見方をもつことにある」


この言葉を読み 父を思い出しました。
「何をしても どこかに行っても ただ 見てくるな!」とよく言われました。

子供の頃 高い橋の上で 景色をぼーっと見てたら
父が 石拾って来いというので 何でかなと思いながら 拾い
その橋の上から 石を落とせというのです。
何も考えず 石を落としたとき 初めて 景色以外に 高さを感じることができ
その橋は 一生忘れられない橋となりました。

見るのではなく 観る 心のどこかに響かせ感じろって言ってたのだと思います。

エビノキユウイチ :

熊野とは何か。
きっと無数の答えがありそうですね。
それだけ熊野の懐は深い、ということなのでしょう。
今回のCDもぼくたちなりの熊野を描いてみました。
及川さんが用意したテーマは「再生」です。
疲れ果てた肉体がよみがえり、
傷ついた魂がよみがえる場所。
これが熊野の本質だと、ぼくたちは考えました。
人間というものは迷いを抱え、
過ちを犯す存在です。
誰だって一度や二度は人生に躓くことがあると思います。
そこから立ち直れるかどうか。
ぼく自身田辺に戻ってくることで
人生を折り返すチャンスを与えられました。
熊野は、魂の折り返し地点のような気がします。

熊野の自然は、ぼくたちの五感を解放してくれます。
ぼくたちは知らず知らずのうちに
熊野の自然から無限のエネルギーを受け止めています。
牛尾さんの絵のすばらしさは、
霊的な磁場であった熊野の風景を
芸術的表現の中に写し取ったことにあると思います。
だからこそ牛尾さん絵は、底知れぬエネルギーを感じさせてくれるのだと思います。

熊野とは何か。
こう考えること自体、無限の力に触れることかも知れません。
心の中に生まれた泥や汚れから目をそらさず、
さらにその下に横たわる自分自身の可能性に、
いつか到達したいものです。

この絵に足を止めてくれてありがとう。
この絵はぼくに、何気ない日常の風景の中に、
清らかな光が隠れていることを教えてくれました。
ちなみにこの絵のタイトルは、
『秋夕(しゅうせき)』と読むそうです。

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このページは、蛯乃木が2007年11月 9日 08:53に書いたブログ記事です。

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