2008年4月アーカイブ

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水滴.JPGドミニク・アングルの『泉』という絵を見て、
「この作家は目がいい」と牛尾武氏が褒めた。
流れ落ちる水を何日も見続けた人にちがいない、と。

 

画家にとってものを見ることは、
網膜に映像を映すことではなく、
対象の構造や運動を脳に記憶させることらしい。

 

たとえば鳥の羽根を一枚一枚観察した経験があれば、
遠い空を飛ぶ鳥の姿がくっきり見えるという。
画家にとって見ることは、ことの本質を理解することを意味する。

 

牛尾さんはいま空海の足跡を追いかけているが、
それは空海ゆかりの風景を画布に写し取ることではなく、
空海の思想を理解し、
現代の風景の中に再構成することを意味するのだろう、きっと。

 

その労力たるや、想像を絶するものがあるにちがいない。
ストレスも並ではないはずだ。
画家の仕事も楽じゃない。
これからは多少奇妙なことをしても、
優しい気持ちで牛尾さんを見守りたい。

 

『虎の子寿司』から味光路(あじこうじ)まで、
無理矢理タクシーに乗せられるようなことがあったとしても。

photo=c.nagase

 

永遠のカレーライス

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DSCF1831.JPG外で食べるときはよいとして、
家でカレーライスを食べるとき、
ご飯とルーのバランスが取れますか?

 

ぼくの場合、なぜかルーが先になくなり、
ご飯が絶海の孤島のように残ってしまう。
波打ち際にルーのあと。
これは淋しい。
見た目も悪い。
第一おいしくない。
異国のスパイスにしびれた舌には、
白米の味は繊細すぎる。

 

最後のひとくちをおいしくいただくために、
ガスレンジのカレー鍋をかき混ぜ、
底のほうからルーをすくい上げ、
残ったご飯に補充する。
このときつい分量をまちがえる。

 

金銭を気にせずルーをほしいままにできるうれしさが手元を狂わせるのだろうか。
絶海の孤島が、今度はルーの海に埋没する。
軟弱な地盤が崩れ、ご飯が液状化する。
エントロピーが増大し、皿の中の宇宙を混沌が支配する。
こりゃいかん!
宇宙の秩序を回復するために、
ひたすらご飯をかき込むと、
ありゃま!
今度はルーが残っているではないか!

 

ご飯、
ルー、
ご飯、
ルー、
このままでは永遠にカレーライスを食べ続けることになる。

 

いい加減この悪循環を断ち切りたいと思う。
ご飯とルーのバランスを整え、
黄金の比率でスプーンにすくい、
余すところなくきれいに平らげたい。

 

次回こそ!

 

サンドウィッチマン!

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ピザ風邪を引いて寝込んでしまった。
熱が去りようやく動けるようになったので、
『TSUTAYA』に行ってビデオを借りた。

 

サンドウィッチマンの『新宿与太郎哀歌』に笑ってしまった。
全編、空耳の連続だった。

 

宅配ピザの店員にキレた客が怒鳴る。
「責任者を出せ!」
「先に医者を出せ?」
「医者じゃない。責任者!」
「テクニシャンを呼べ?」
話がまったく噛み合わない。

 

ピザのトッピングについて客が訊く。
「エビは入っているのか?」
「指は入っていません!」
当たり前だ。

 

富澤たけしがふてぶてしくていい。
この人ポロシャツを着て帽子をかぶると、
本当にやる気のないアルバイトに見える。
妙にリアルだ。

ジャンプボード!

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湯川和幸さん去る4月20日ライブハウス『B1』にて、
湯川和幸君のライブが開催されました。
開場と同時に客席が埋まり、
追加のパイプ椅子が配られる盛況ぶり。
遅れて来たお客さんには螺旋階段席(特別席!)が与えられました。

 

実はぼく自身湯川君の生演奏を聴くのは初めてのこと。
思いがけない発見がありました。
「色んな声が聞こえる」と和歌山放送の寺門秀介アナウンサー。
ギルバート・オサリバンだったり、
ビリー・ジョエルだったり、
小田和正だったり、
RADWINPSだったり。

 

おお、ギルバート・オサリバン!
『アローン・アゲイン』の衝撃は今も鮮やかです。
ぼくはこの曲に憧れてポピュラーミュージックの門をくぐりました。
おそらく死ぬまでその背中を追い続ける気がします。
湯川君とは意外なところで接点があるかも、と思わずにんまり。

 

地元の仲間に囲まれて、湯川君はとてもリラックスしていました。
この街で音楽ができる喜びがストレートに伝わってきます。
東京から地元に戻り、
湯川君もまた再生を遂げた表現者の一人かも知れません。

 

東京時代の湯川君の作品には、
求道者の孤独のようなものが宿っています。
そのクオリティの高さには脱帽するしかないのですが、
聞き手にとって近寄りがたい何か、
世界に対する苛立ちのようなものが潜んでいるのも確かです。

 

これに対して、
地元で活動を再開してからの湯川君の作品の豊かさには目を見張るばかりです。
スケールが大きく、世界に対する信頼と共感があふれそうです。
たとえばこの日演奏された『もう一度だけ』
奇をてらったところは何一つないけれど、
いつまでも耳に残るメロディの美しさに嫉妬の炎がめらめら。

 

ぼくたちは今、
ひとりの表現者がジャンプボードを踏み切る瞬間を見届けようとしているのかも知れません。
それはもちろん湯川君個人の才能に帰すべきものですが、
ぼくはそこに熊野という土地が持つ磁力の強さを感じずにはいられません。

 

芸術作品とは、畢竟世界に対する共感です。
人間の優しさや風景の美しさに感動する心です。
たとえ不安や絶望を主題に選んだとしても、
今を生きる力を肯定しなければ、
主題が表現に昇華される日は来ないはずです。
ああ、そうか。
熊野とは「再生の地」
もう一度生を肯定する土地であったことをはしなくも思い出した次第。

 

当日心のこもったホスピタリティをくれた『B1』のスタッフに心から感謝します。
泉清君ありがとう!
新井君ありがとう!
平松さんありがとう!
MCの入江君かっこよかったよ、ありがとう!

 

☆  ☆  ☆

*当日は、サプライズゲストとして、和田葵さん(右)が  『BIRD』を熱唱してくれました。
将来が期待される高校三年生のボーカリストです。

ゲスト

七福神の没落

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枯れススキ仕事と称して毎晩飲み歩いていたら、
あっという間に体重が2キロ増えた。
これはまずい。
メタボリック症候群という言葉が頭をかすめる。
来るべきものがついに来た?

 

4月1日から「特定検診・特定保健指導」がスタートした。
いわゆる「メタボ検診」が議論を呼んでいる。
医療費削減が目的だというが、
果たして効果が上がるかどうか。
働き盛りのお父さんを半病人に認定し、
不要な投薬治療を行うだけではないのか。
規制緩和の流れに逆らい、
新たな規制を設ける厚労省の感覚に首をかしげる。

 

そもそも日本は世界一の債権国であり、
世界一の長寿国である。
この国の社会人の生活習慣に、
根本的な欠陥があるとは思いにくい。
この国の社会人のお腹がぽっこり出ているのなら、
その体型こそが人類の理想とすべき体型ではなかろうか。

 

大仏様のお顔を思い浮かべてほしい。
ぽっちゃりと丸顔でいらっしゃる。
胸板が厚く、肉付きのいい体型をしていらっしゃる。
腹囲が85センチ以下には見えない。

 

七福神を思い浮かべてほしい。
全員堂々たる体躯をしていらっしゃる。
布袋様然り。
大黒様然り。
恵比寿様然り。
今回実施される特定保健指導は、
このお三方に減量を強いる暴挙である。
思い上がりというしかない。

 

『一九八九年以来、
特に症状のない人に対する典型的な年次健康診断で行われる多くの検査は、
実はほとんど効果がないことが何十もの調査で示されている。
症状のない人に定期健診を行っても全体的な寿命には影響しないようなのだ。
年次健康診断のかなりの部分が時代遅れだ。
でも医師はそれをやるべきだというし、
それも大規模にやれとこだわり続ける。」(『その数字が戦略を決める』文藝春秋)

 

下腹がせり出して何か不都合があるとすれば、
キャバクラで相手にされなくなることくらいだ。
肥満者に対するいわれなき偏見を取り除くために、
「メタボ」などというズサンな呼称は直ちに改めるべきである。
もっとかわいい呼称はないものか。
「ター坊」なんてどうだろう。
「あっ、ター坊が来た!」

 

案外キャバクラでモテたりして。

 

声の遠近法

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扇ケ浜のカラス田辺のすばらしさは、
町中どこにいても鳥の声が聞こえることだ。
体の大きなもの。小さなもの。
さまざまな種類の鳥が啼いている。
声の遠近法の奥行きが、
この町に残された生態系の豊かさを教えてくれる。

駐車場に舞い降りたセキレイが、
小石をついばんでいたりする。
「ああ、いいなあ」
と思わず声が出る。
大きな歯車で時間が流れてゆくのがわかる。

photo=c.nagase

 

母音の品格

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朝露「田辺の人は母音をきれいに発音するなあ」
と牛尾武氏が言った。
いつものことながら面白いことを言う。
指摘されるまで気づかなかった。
「たとえば?」
「経営者のことを、ケイエイシャ、って言うやろ」
「牛尾さんは?」
「ケーエーシャ」
なるほど。
たしかに田辺弁の方が顎の運動量が多い。
「他には?」
「誠意のことを、セイイ、ってちゃんと言うやろ」
「牛尾さんは?」
「セーイ」

 

関西弁(とくに大阪弁)の経済効率には感心させられる。
最小の努力で、最大の効果を得ようとする。
母音はできるだけ省略する。 
長い名詞は短縮する。(これは全国に広まりましたね)
言いにくい言葉は促音でメリハリをつける。
「プラスチック」は「プラッチック」になるし、
「洗濯機」は「センタッキ」になる。
つねに擬音を多用し、短く的確に伝えようとする。
大阪のタクシー運転手の言葉。
「まちがって事故でも起こしたら、
一生取り返しがつかないでしょう?」という意味を、
彼はひとことでこう言った。
「ガシャンゆうたら、終わりでっしゃろ?」
田辺弁はここまで経済的になれない。

 

母音の件を、引き続き牛尾さんに訊いてみた。
「同窓会は何て言う?」
「ドーソーカイ」
「風営法は?」
「フーエーホー」
極めつけのこれならどうだ?
「『与作』のヘイヘイホーは?」
「ヘーヘーホー!」
そんなわけはないのだが、調子を合わせてくれるところがうれしい。

photo=c.nagase

かごの鳥マンション

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14階建てのマンションの外壁補修がはじまった。

360度の視界.JPG見る見るうちに足場が組み上げられてゆく。
わくわくしながら毎日見ていた。
4週間ばかりで足場が完成し、
工事現場の中で生活することになった。
子供の頃の台風を思い出した。
雨戸を閉め、扉を打ち付け、
蝋燭のあかりで過した時間。
非日常の時間を楽しもうとした矢先、
エレベーターに注意書きが貼り出された。
足場に不審者が現れたという。
何ということをしてくれるのか。
おかげで進入経路は厳重に管理され、
警備員の数が増えた。
住民はかごの鳥になってしまった

 

ツマラナイ。

 

毎朝エレベーターホールですれちがう鳶の職人は颯爽としている。
思わずついて行きそうになる。
足場を歩きたくてしょうがないのだ。
はやる心をぐっと抑えて、
できるだけ愛想よく挨拶をする。

 そのうち仲良くなったら、
職人の方から声をかけてくれる日も来るだろう。
うまく行けば足場を歩かせてくれるかも知れない。
ああ。
想像しただけで貧乏ゆすりしそうになる。

 

花曇りの空の下、
鏡のように凪いだ文里湾が広がって、
それはそれはきれいだろうなあ

photo=田辺市の郊外、三星山から田辺湾を望む(c.nagase)

 

哲学者の木田元先生が『爆笑問題の日本の教養』(NHK総合テレビ)に出演するそうです。
放送は、4月22日(火)午後11時から11時半。
皆さんぜひご覧下さい。

 

変な木木田先生は遠い憧れの存在でした。
何しろ『ハイデガー』(岩波書店)という著作がすごかった。
読みかけては投げ出してばかりの『存在と時間』
取りつく島がないとあきらめかけていたこの著作が、
木田先生の手にかかるとすいすい頭に入ってくるのです。
人間の意識は時間と共にあることを明らかにした上で、
「存在は生成である」という結論が下されたとき、
世界の謎が解けた!
と興奮したものです。

 

80年代の終わり、
まだ西武百貨店にいたホサカが仕事で木田先生を訪ねるという。
このときぼくを誘ってくれたのです!
私鉄の駅を降り、
ホサカにくっついて歩くのですが、
これがなかなか到着しない。
「親戚のおじさんちに行くみたいだな」
などと気楽なことを言っている。
さんざ道に迷ったあげくようやくたどり着いたご自宅の前で、
木田先生はぼくたちを探しておられました。

 

仕事の話などほんの十五分程度で終わってしまい、
ぼくたちは膝をそろえて座っていました。
仕方がない、という感じで木田先生が言ったひとこと。
「何か、飲むか?」
ホサカとぼくは、ちぎれるくらい尻尾を振りました。
ビールをいただき、
ブランデーをいただき、
スナックでカラオケを歌い、
その日はそのまま泊めていただきました。

 

4月22日(火)の夜は、
ぜひとも『爆笑問題のニッポンの教養』をご覧下さい。
この人がカラオケで『X‐JAPAN』を歌う木田先生です。
長渕剛の生まれ変わりです。
ぼくの大好きな先生です!

 

photo=c.nagase

テンピュールの枕

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スイセン東京の定宿の枕がテンピュールだった。
最初は気持ちが悪かった。
低反発素材というのだろうか。
すと、と指がめりこむ。
くぼみがなかなか戻らない。
異様にやわらかい。
ところが持ち上げてみると、
意外に素材の密度が高く、重い。
何だろう、これ?
何かを思い出しそうになる。
ずっと気になっていた。
そして先日、
JR天王寺駅前の居酒屋で「粕汁」をすすっていて気が付いた。
わかった!
酒粕だ!
テンピュールの枕は酒粕そっくりだ!

もやもやが晴れて以来、
テンピュールの枕が好きになってしまった。
枕に頭を載せ、
鮭のアラや、大根や、人参や、こんにゃくのことを考える。
目を閉じて粕汁の具を思い浮かべる。
具になって粕汁の中に浮かぶ自分自身を想像してみる。
次第に体温が上昇する。
いつの間にか眠りに落ちている。

睡眠障害が嘘のようだ。

 

photo=c.nagase

 

数字の魔術

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桜と菜の花「一寸の虫にも五分の魂」とか、
「盗人にも三分の理」とか言うじゃないですか。
このときの、「五分」とか「三分」の単位が気になります。
おそらく何割何分何厘の「分」ですよね。
つまり百分の一。
一寸の虫にも5%の魂があり、
盗人にも3%の言い分がある、ということかと。

 

似たような表現で、「五分咲きの桜」というとき。
これ5%の開花じゃないですよね。
半分咲いている、ということですよね。
「腹八分」もそう。
胃の内容量の8%ということではないと思います。
おそらく80%を意味しているはずです。

 

頭がくらくらする。

 

同じ単位なのに、使われる場面によって比率が変わる。
こんなことが許されてよいものでしょうか。

 

虫に使うとき「五分」は5%。
泥棒に使うとき「三分」は3%。
桜に使うとき「五分」は50%。
内臓に使うとき「八分」は80%。

 

散髪で「五分刈り」というとき。
現場で「八分通りの出来」というとき。
この数字が何を意味するのか、
一瞬わからなくなるときがあります。

 

これは日本語の柔軟性を意味し、
日本人の共通感覚の精度の高さを意味しているのでしょうか。
それとも日本語のいい加減さを意味し、
日本人の場当たり主義を意味しているのでしょうか。
それとも。
日本語の表記に対して、
ぼくは何か根本的な勘違いをしているのでしょうか。

 

ワカラナイ。

 

同じ質問を子供にされたら、皆さんなら何と答えますか?
模範解答があったら、ぜひ教えて下さい。
マジです。

photo=c.nagas 

 

柳と桜

 

 

湯川和幸君ライブのお知らせ

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湯川和幸くん.jpg湯川和幸君のライブの詳細が決定しました!

 

日  時:平成20年4月20(日)

     1730開場

1800開演

場  所ライブハウス『B1』

チャージ1000

 

主な経歴

 

99年アクシアアーティストオーディション最終選考に残る。

 

演劇集団「キャラメルボックス」の2001年、春の公演「エトランゼ」に曲を提供。

 

2003年6月6日発売のコンピレーションアルバムSPEAKOUT2に参加。

 

2004年、 NEXTMUSICAWARDS にてグランプリ受賞(JIOR名義)。

 

2008年公開予定の映画「返す波(仮タイトル)」のサウンドトラックを担当。

 

影響を受けたアーティスト

古代祐三、久石譲、オフコース、坂本龍一、ギルバート・オサリバン、

トッド・ラングレン、キャロル・キングなど、その他、私のCD棚の中にある全てのアーティスト

 

湯川君の歌を聴いていると、

ぼくは色んなことを思い出しそうになります。

 

光の角度。

風の匂い。

空の色。

雲のかたち。

毎日何気なく見ている風景の中に、

はっとするような美しさがひそんでいることに気がつきます。

 

洗濯機をまわしたり、

靴を磨いたり、

珈琲を淹れたり、

おっちょこちょいな犬と土手を歩いたり、

日常生活の一つひとつがとても楽しいことに思えてきます。

 

湯川君の歌を聴いていると、

今までお世話になった人々を思い出します。

家族や友だちを思い出します。

自分が大勢の人に支えられていることに気がつきます。

 

湯川君の歌には不思議な静けさが宿っています。

少し音程の狂ったギターがチューニングされる感じ。

透き通った水が心のコップを満たしてくれる感じ。

当日ぜひ会場にお越し下さい。

自分自身の一番いい表情を思い出す夜になると思います。

 

桜の気分

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桜の花びら人間嫌なことがあると落ち込むし、
うれしいことがあると舞い上がる。
心にも「慣性の法則」が働くみたいだ。
嫌なこともうれしいことも、
ずっと続きそうな錯覚に陥る。
どちらも一過性なのに。

 

一見かけ離れているが、経済も似たような動き方をする。
日経平均が上昇すると、投資家はみな強気になる。
どこまでも上昇するかのように振る舞う。
そのくせいったん下落すると、奈落を覗いたように弱気になる。
高値で掴んだ株を、一日も早く売り急ぐ。
相場は上がったり下がったりするものだという、
当たり前の事実を忘れてしまう。
「得意淡然、失意泰然」
という言葉は示唆に満ちている。
「一喜一憂しなさんな、どちらも長続きはしないのだから」
と語りかけてくれるような気がする。

 

さいわい日本という国は、
四季の変化がはっきりしている。
春分の日を過ぎた今、
半袖の子供たちが元気よく駆けて行く。
寒さに震えた昨日が嘘のようになる。
花粉症に悩まされていたことも忘れ、
ある日を境に桜の気分に切り替わる。
「慣性の法則」に流されそうな心のスイッチが切り替わる。

 

桜の花びらが風に散る。
ああいいなあ、と声に出る。
富めるときも貧しきときも、
病めるときも健やかなるときも、
世界は無常であることを思い出させてくれる。

DSCN3443.JPG

photo=c.nagase

池に散った花びら(田辺市・動鳴気渓)=上

樹齢260年、野長瀬家の桜(田辺市中辺路町近露)=下

 

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