2008年6月アーカイブ

ドアボーイにご用心

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サギ行列のできるパティスリーを観察していて気がついた。
あのドアボーイの存在がどうも怪しい。

 

制服を着た青年が行列の客を誘導する。
ホテル並だなと感心した。最初は。
一組店から出るたびに次の一組を案内する。
無用の混雑を避け、
買い物を助けているのかと思った。
もったいをつけている感じが鼻につくが、
悪いことではなさそうだ。

 

しかし。
ある土曜日の午後、珍妙な光景を見た。
行列で有名なパティスリーのエントランスが閑散としている。
ありゃま。誰もいない。
珍しいこともあるものだと目を凝らした。
ドアボーイがあたふたと動き回っている。
相手は店長だろうか。
インカムを使ってやりとりをしている。

 

「すいません。人がいません。」
「どういうこと?」
「お客がいません。」
「何やってんだ、お前?」
「すいません。」
「ウチは行列が命だろう?」
「はい。」
「すぐにつくれよ、行列をよ!」
こんな会話がなされているように見えた。

 

さいわいすぐに人が集まってきた。
人を見て人が集まり、
あっというまに短い行列が生まれた。
どうなることかと身を乗りだした。

 

ドアボーイは店を出たり入ったりし、
なかなか客の相手をしない。
客が放置されている図になる。
並ぶ側から言わせれば、
たいして客もいないのに順番が回ってこないことになる。
「小児科か、お前は!」
関西だったらまちがいなくツッコミが入るところだ。

 

そうこうするうちに客がたまりはじめた。
人数にして14~5人、
7~8組になるだろうか。
行列の長さが目立つようになったところでようやく先頭の客が動きはじめた。
しばらく様子を見ていたが、
あきらかに店から外に出るほうが、
中に入る客よりも数が多い。
これはもうドアボーイが関所となって行列を伸ばしているとしか考えられない。
「ダムか、お前は!」

 

それにしても東京の客はおとなしい。
店の看板に利用されても、
文句も言わず行列に並んでいる。
楽しそうにおしゃべりをしている。
みんなヒマなのかなあ。
それを飽きずに見ていた自分はどうなのかという話だが。

photo=サギ(c.nagase)

 

宮本君と中村君

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JR田辺駅.jpg
飛行機が突然欠航になったので、
電車で東京へ移動することになった。
何年ぶりだろうか。
新大阪を経由し、
紀伊田辺から東京都内まで乗車券を買うことになった。
「おふたりですか?」
とガラス越しに駅員さんが訊いてくる。
変な質問?
目の前にいるのはひとりなのに。
二枚も買わされてはたまらない。
人差し指を立て、
駅員さんの目をのぞき込みながらこう言った。
「ひとりです!」
駅員さんはうなずき、
踊るような指先でタッチパネルを叩いた。
驚くなかれ。
出てきたのは二人分のチケットだった。

 

思い込みとは怖しいもので、
実はぼくも似たようなまちがいを犯すことがある。
ぼくの場合、
なぜか「宮本」という苗字と「中村」という苗字の区別があいまいになる。
本人は「宮本君」なのに、
どう見ても「中村君」にしか見えないときがある。
もう見事なくらい呼びまちがえる。
しまいには本人が慣れてしまい、
「中村君!」と呼ぶと、
宮本君が「はい」と返事をするようになる。

 

逆の場合も同じことになる。
「中村君」はなぜかぼくの中で「宮本君」になる。
もう100パーセント入れ替わる。
いくら訂正されても直らない。
脳の配線がこんがらがって、
右と左が逆になってアウトプットされる感じ。
周囲の人とは別の現実を生きているのではないかと、
時々不安になることがある。

 

駅員さんを責める資格は、
どうやらぼくにはなさそうだ。

 

徒労のエアコン

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凍てつく滝.jpg今年もエアコンの稼動が目につく季節がやって来た。
たいした気温でもないのに、
これをありがたいと感じる自分のひ弱さが情けない。
今日カフェに入ろうとしたら、
開けっ放しのドアから路上に冷気が吹き出していた。
涼風を全身に浴びながら入店し、
カプチーノを買って席に着いた。
店内二ヶ所の出入口が大きく開け放たれている。
エアコンが唸りをあげて冷気を吐き出す。
白銀の気流は渦を巻きながら戸外に放出されていた。

 

開放空間の冷却は、いかにも日本人好みだ。
客寄せのつもりだろうか。
鰻屋が蒲焼の匂いを道行く人にかがせるようなものかもしれない。
かつて冷房装置は社会的なステータスとともにあった。
砂漠のど真ん中にできたラスベガスが全米から客を集めた理由のひとつは、
その空調技術の先進性にあった。
太陽に溶けない氷の城。
冷房の効いた部屋は、それだけで商品価値がある。
エアコンの大盤振る舞いは、
だから理由がないとは思わないが、
どう考えてもこの時代にはそぐわない。
日本列島改造論や、
バブル期の喧騒を思い出させる。

 

去年の夏、
横浜駅で私鉄に乗り換えようとして信じられない光景を見た。
吹きさらしの通路をはさんだ店舗がいっせいにエアコンを回し、
通行客のために冷たい空気のトンネルを作り出していた。
ああ、この人たちは地球を冷却しようとしている。
店の裏に回れば、
すさまじい勢いで排熱が吹き出しているにちがいない。
地球の気温はどんどん上昇していく。
その熱を奪うために、
さらに激しくエアコンを回す。
自分の尻尾に喰らいつく蛇のようだ。
このような野蛮を放置したまま、
電力の不足を理由に原子力発電を推進しようとするぼくたちは、
狂気に蝕まれているのかもしれない。

 

『シーシュポスの神話』をはじめとして、
人類の徒労を描いた物語は数々あるが、
エアコンによる大気の冷却はその最たるものではないだろうか。

 

もうすぐ日本中の商店街で、
業務用エアコンがフル回転をするだろう。
店舗の一つひとつは市場さながらの開放空間であり、
店主は目の前の客を呼び込むことに没頭するだろう。
かくして有線放送の音楽や、
高校野球の実況中継とともに大量の冷気が屋外に放出されてゆく。
冷媒は灼熱の大気を空しく冷却し、
排熱はドライヤーの風を生む。
心のどこかでおかしいと感じているのに、
誰ひとり異議を唱えるものはいない。

 

地球温暖化を望むものなどいないのに、
ぼくたちはいつのまにか環境破壊の加害者になる。
立ち止まることのできない自分がもどかしい。

photo=凍てつく滝(護摩壇山) c.nagase

東京モノレール

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東京の夕景.jpgモノレールに乗ると心がはずむ。
これから仕事に向かう緊張感だったり、
やっと家に帰れる開放感だったり、
その時々で中身はちがうのだが、
モノレールに乗りこむと、
足の裏がちくちくするような高揚を感じる。

 

高い場所を走るのがいいのでしょうね。
何しろ視界が広いので、
運転席ごしに広がるパノラマが楽しい。
座っているのがもったいなくて、
ガラスにへばりつきたくなるが、
ここはあくまでさりげなく、
見るともなく運河の四季に目をやる。

 

羽田から浜松町まで、
モノレールは都合3回地中にもぐる。
この意味がよくわからない。
地下駅を出発し、
太陽を見たかと思うとすぐ地面にもぐる。
これは地下鉄かと思いきや、
ふたたび地上に顔を出す。
これを2回くり返す。
顔を出したりもぐったり。
息の続かないダイバーみたいだ。

 

日本で一番アップダウンの激しい公共交通機関、
それが東京モノレールだ。
上り下りに規則性が感じられないため、
遊園地のアトラクションめいてくる。
上下運動に合理的な理由はなく、
乗客の退屈をまぎらわすためのものかと思える。

 

浜松町駅が近づいてくる。
横たわる橋をひょいとまたぎ、
ライフラインをちょいとくぐる。
この身軽さがたまらない。
交通手段に運ばれているというよりも、
『みさき公園』あたりで遊んでいるような気になってくる。

 

東京モノレールは、
昭和の日曜日を思い出させる。

photo=東京の夕景(c.nagase)

ハンドソープ

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手水.jpg楽器をさわる商売なので頻繁に手を洗うことになる。
いきおいせっけんやハンドソープに関心が向く。
商業施設でも公共施設でも家庭でも、
近頃せっけんを見る機会が少なくなった。
固形せっけんを共有するのは不潔なのだろうか。
指紋の間の汚れをこそげ落としていくようなせっけんの洗浄力が大好きなのだが。
文句を言ってもはじまらない。
ハンドソープに慣れるように努力している。

 

ハンドソープと一口に言うものの、
いろんな種類があるのですね。
泡状のものに出会うと内心「やった!」と思う。
メレンゲのような白い泡。
泡のしっぽがソフトクリームのようにとがったりすると、
うれしくて小躍りしそうになる。
高級感がたまらないではないですか。

社交界にまぎれ込んだようで、
自分もとうとうセレブの一員になったのかと思う。

 

リキッド状のものは要注意だ。
とろみのついた液体の脂っこさがどうも気になる。
よくいえば保湿力があるのだが、
ありていにいえば水切れが悪い。
指先が妙にすべすべするので、
精密な仕事に適さなくなる。
おまけに空気に触れると固まる性質があるらしく、
ポンプがつまったりする。
思わぬ方向に飛び出ることがある。
リキッド状のものを見たら、
思わず赤信号が点滅することになる。

 

微妙な立ち位置にあるのが業務用のハンドソープ、
例の青い水せっけんである。
この水せっけんの普及がハンドソープの黄金時代を準備した。
いわば最大の功労者である。
本当は大切にされるべきである。
しかし現実は正反対だったりする。
青い水せっけんが用意されているのは、
公衆トイレの洗面所のように、
人の出入りの激しい場所ばかり。
補充が間に合わないのだろう。
タンクが空になりがちである。
おまけに誰が指示を出すのか、
水せっけんは思い切り水で薄められ、
ほとんど役に立たない代物になっている。
泡の立たない水せっけんに向けられる不審
のまなざし。
水せっけんの悲鳴が聞こえてきそうだ。
「泡が立たないのはぼくたちのせいじゃない!」

 

泡の立たない水せっけんを見るたび、
ぼくの心はしくしくと痛む。
低賃金の労働者がさらに過酷な搾取にあえぐ姿を見るようだ。
まさか『蟹工船』の世界?

 

水せっけんを水で薄めることは、
人としてやってはならないような気がする。

photo=c.nagase

 

入試問題

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疑問符
山手線の中吊りに中学の入試問題が出ていた。
日能研の広告だった。

 

「食塩水で作った氷を糸で結びビーカーの中につるしました。
すると図のような『もやもや』した流れを観察することができました。
何が原因で、このような『もやもや』が起きるのか説明しなさい。」

 

イラストを見ると、
水を張ったビーカーの中に角氷がつるされ、
氷の下から温泉マーク状の『もやもや』が発生している。

 

『もやもや』が起きる原因?
答えを考えてみた。

 

 ①ひとりでいるのが淋しくて、どこかに遊びに行きたい気持ち。
 ②自分の才能に対する疑問。
 ③異性に対する好奇心。
 ④将来に対するただぼんやりとした不安。
 ⑤血管の収縮に伴う血行障害。
 ⑥やり場のない怒り。

 

うーん、わからん。
③番でないことだけは、確かなような気がする。


 

photo=疑問符 c.nagase

納豆攻撃

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納豆.jpg

 

神戸市出身の某ホテルマンが「田辺弁はさっぱりわからん!」と言う。
「たとえば?」
「『じてこもじけてなっとうしょーに』って言うやろ?」
「言うなぁ。」
「これ日本語か?」
「立派な日本語やん。」
「『じてこ』て何や?」
「自転車やん。」
「省略の仕方、おかしないか?」

 

かれは着任早々「なっとう」攻撃にあってしまった。
「なっとうしよう」
「なっとうしょーに」
「なっとうすらあ」
上司も部下も、
みんな口々に「納豆しよう」と誘いにくる。
納豆嫌いのかれはすっかり怯えてしまった。
「どんだけイソフラボンやねん!」

 

あのね。
メタボ検診がはじまったからゆうてね、
一日中健康食品のこと考える人間がおるか?
ぼくらは大豆のまわしもんやない。
「なっとうしよう」は、
「どうしましょう」という意味じゃい!

 

ところがこの「なっとう」、
和歌山県下でも珍しく、
どうも田辺市周辺でだけ使われているみたいだ。

 

和歌山市にこんな小咄がある。
田辺市から中学生の遠足が来た。
南海和歌山市駅からJR和歌山駅への乗換えがわからないらしく、
中学生の代表がキオスクのおばちゃんにこう訊いた。
「和歌山駅には、なっとう行ったらいいですか?」
おばちゃんには「なっとう」がわからない。
「はあ?」と聞き返した。
中学生は声が届かなかったと思ったらしい。
大きな声でこう言った。
「なっとう、行ったら、いいですか?」
ここで和歌山市民はげらげら笑う。


なんかムカつく。

 

空耳アワー4

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虹の足「虹の専門誌」があるらしいでと及川さんが言うので、
それはずいぶんロマンチックだなあと思ったら、
何のことはない「ネジの専門誌」だった。

 

作曲の仕事が続くと耳がおかしくなる。
「大宮」と「近江屋」の区別がつかない。
京浜東北線の終点は江戸時代かと思ってしまう。

 

「化粧」と「手相」の区別もつかない。
「手相なんてどうでもいいと今日まで思ってきたけれど」
と中島みゆきが歌っているので面白がっていたら、
それは『化粧』という歌だった。

 

サマンサとさんまさんの区別がつかない。
ラミレスとファミレスの区別もつかない。
柳美里とユーミンもしかり。

 

福島県出身のプロデューサーから「スタジオ作ろう!」と言われて喜んでいたら、
それは「下地を作ろう」と言っていたのだった。
とんだぬか喜びだった。

 

迷妄と錯綜の日々。

photo=虹の足(c.nagase)

燕の無防備

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ツバメの子育て.jpg
燕ほど無防備な鳥はない。
民家の軒に巣をつくり、ヒナを育てる。
手を伸ばせば届きそうな高さだ。
人間を信じきっているのだろうか。
糸くずを頭にのせたようなヒナが、
顔中くちばしにして鳴きわめいている。
可愛いという言葉を安易に使いたくはないが、
心の一番やわらかい部分がちくちくするくらい可愛い。

 

自分の脅威となりかねない種の生活圏で子を産み育てる野生動物が、
はたして燕以外にあるだろうか。
信じられること、
身をゆだねられることは人間の心を温めるものらしい。
巣から落ちる糞を受け取るために段ボール箱が置かれ、
中の新聞紙が毎日取り替えられていたりする。
主がかいがいしく世話を焼いているのがわかる。

 

「夏になったら鳴きながら帰ってくるあのツバクロでさえ、
何かの拍子にぱったり姿を見せなくなることもあるんだぜ」
そう言いながら寅さんは毎年『とらや』に帰ってくる。
燕の巣を守るものはみな、
おいちゃんであり、
おばちゃんであり、
さくらであるような気がする。

 

もうすぐ巣立ちの季節がやってくる。
燕の親子が何度も弧を描き、
ぼくたちの街に別れを告げる。

 

燕は天がつかわした使者かも知れない。
人間の善意をたしかめて、
神様もほっと胸をなでおろしているのではないだろうか。

 

金目教のトラウマ

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奇岩.jpg数年前の話になるが、
『三角縁神獣鏡』が発見されたとき、
ぼくは自分の耳を疑った。
『三角淵心中教』と聞こえたのだ。
まがまがしい教義をもつ秘密結社が発見されたのかと思った。
すごく怖かった。

 

ぼくは信仰心のない人間ではないのだが、
宗教団体には抵抗を感じてしまう。
その理由をつらつら考えてみた。
どうも子供の頃に見た『仮面の忍者赤影』に影響されているみたいだ。

 

「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、
琵琶湖の南に『金目教』という妖しい宗教が流行っていた。
それを信じないものは恐ろしい祟りに見舞われるという。
その正体は何か?
藤吉郎は飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ。
その名は・・・赤影参上!!」

 

金目教の正体は、甲賀幻妖斎の率いる霞谷七人衆。
幻妖斎は金目教を広め、
日本を手中に収めようと企んでいた。
これを阻止せんとする木下藤吉郎。
甲賀忍群と飛騨忍者の間に死闘がくり広げられる。

 

覚えておいでだろうか。
霞谷七人衆の忍術は想像を絶するものだった。
他人の顔を写し取ったり、
巨大なガマが出現したり、
一つ目が空を飛んだり、
ほとんどSFの世界だった。
しまいにはご神体である「金目像」が動き出した。
悪の大魔神そのものだった。

 

このときの体験がよほど強烈だったのだろう。
一種のトラウマになったらしく、
これ以後「△△教」と聞くと身構えるようになってしまった。

 

「誇大妄想狂」という言葉がある。
この言葉を聞くと、
なぜか「古代妄想教」という漢字が思い浮かぶ。
耳の上で髪をたばねた古代人が集団で妄想にふけっている図を連想してしまう。
焚き火の炎が赤々と燃え、
古代人の体が前後左右に揺れる。
喜んでいるのか、
苦しんでいるのか。
相当不気味な光景が目に浮かぶ。

 

「金目教」のトラウマに、今も縛られているのだろうか。

 

photo=熊野川に横たわる奇岩「骨島」(c.nagase)


『誓い』が海を越える日

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庄野真代コンサート.jpg
トルコ大統領が串本に来る!

 

6月7日、大統領の歓迎レセプションに、
及川さんとエロルが参加することになりました。
二人はギュル大統領に、
庄野真代さんのトルコツアーを報告したいと願っています。
実現するといいのですが。

 

このツアーは、
庄野さんをはじめとする『国境なき楽団』(NPO法人)のボランティアに支えられ、
関係者の善意によって成立しました。
ミュージシャンをはじめとする16名のスタッフが、
2週間の長旅に全員ノーギャラで参加してくれるのです。
コンサートの収益は、
障害児のための学校建設に使われます。

 

この事業に賛同し、
串本町が全面的に応援してくれました。
9月21日に地元でコンサートを開き、
壮行会に代えようというもの。
寄付の申し出もあり、
本当に恐縮しています。

 

スケジュールの概要が出ました。
9月21日(日)慰霊碑にて鎮魂のセレモニー。
午後6時から「串本町文化センター」にてコンサート。
翌22日(月)熊野本宮大社にて奉納演奏。(予定)
午後7時から「白良荘グランドホテル」にてディナーショー。

 

詳細が決まり次第、
あらためてご案内をします。
大勢の皆様の参加をお願いします。

 

レセプション当日、
及川さんが大統領に手渡すチラシができました。
片面が日本語、もう片面がトルコ語というもの。
日本とトルコの国旗の対比が、
この事業のメッセージを代弁してくれています。
太陽と月星のように、
お互いを支え合いたいという願い。
大統領の胸に響くといいのですが。

 

2010年、
折しも「エルトゥールル号」遭難120年の節目に、
『トルコにおける日本年』が開催されると聞きました。
このとき『誓い』がテーマ曲に選ばれるよう、
ぼくたちは全力で活動を続けてまいります。

 

皆様のお力添えを心からお願い申し上げます。

 

トルコとの交流に関係する記事(紀伊民報)は次の通りです。

トルコ大統領が串本に 「エ号救難のお礼を」

日本とトルコ、友好より深く 2010年にトルコで事業

メルシン市代表団が訪問 エ号記念碑に献花

庄野真代さんが串本でコンサート計画 トルコ友好の曲を歌う歌手


 

一極集中

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都庁新大阪駅では右側に並んだエスカレーターが、
東京駅では左側に並ぶことになる。
このときかすかな違和感が生まれる。
つい左側を歩こうとして立ち止まり、
ああ、東京に着いたんだと納得する。
五感を切り替え、
人の流れに従い、
やがて自然にエスカレーターの左側に立つようになる。
見えない敷居をひょいとまたぐように。

 

東京と大阪と言ってもいいし、
関東と関西と言ってもいいのですが、
以前はこの見えない敷居がいたるところにありました。

 

立ち食いでたぬきそばを注文したら、
何とあげが乗ってない!
おまけに「天かす」で金を取ろうとするではないか。
いやはや遠い異国に来たものだと天を仰いだものです。

 

何が困るといって、
関東と関西では電化製品の種類がちがったのです。
シェイバーも、
カセットデッキも、
扇風機も、
あらゆる電化製品に互換性がなかった。

 

大阪で使っていたシェイバーを東京で使おうとすると、
まるでやる気をなくしたようにテンションが落ちました。
逆に東京で使っていた扇風機を大阪で使うと、
気が狂ったように回転数を上げたものです。

 

最近こういう現象を見なくなりました。
家電メーカーの技術が進歩したのか、
発電システムが変化したのか、
理由はよくわかりませんが、
関東でも関西でも、
心おきなく電化製品を使えるようになりました。

 

総務省の推計によると、
2007年の東京の人口は転入超過となり、
28年ぶりに全人口の10%(1275万8000人)に達したそうです。
日本人の10人にひとりが東京に住んでいる計算になります。

 

家電にかぎらず、
食べ物にしても文化にしても、
東京と地方の敷居が低くなり、
その結果人口移動が容易になりました。
ボケたらつっこむなんていう文化は、
ひと昔前の東京には見られなかったものです。
東京が地方の文化を飲み込めば、
一極集中はさらに加速されるはず。
地域間の経済格差は広がるばかりです。

 

人口の一極集中も困ったものですが、
最近気になるのはクマゼミの東進・北上です。
地球温暖化の影響で生態系に異変が生じ、
東京の蝉(アブラゼミ)の個体数が減り、
大阪の蝉(クマゼミ)に取って代わられようとしているというのです。

 

吉本興業の東京進出なら笑ってもいられますが、
クマゼミの一極集中はやばい。
小さなエピソードに見えるけれど、
その根底にあるものは異常気象であり、
北極海の海氷の消失と同等の事件です。
経済格差よりもはるかに深刻な気がします。

 

「ジリジリジリジリ」
油でものを揚げるような声で鳴くところから、
東京の蝉はアブラゼミと名づけられたという説があります。
その声に慣れた耳には、
クマゼミの鳴き声はいかにも耳ざわりなはずです。
朝日放送の『NEWSゆう』の取材によると、
大阪市内のクマゼミの鳴き声は、
電車が通過するガード下(約90デシベル)よりもうるさいといいます。
立ち話もできなくらいの騒音です。

 

「シャワシャワシャワシャワ」
薄いシンバルを小刻みに叩くようなクマゼミの声。
この夏東京の蝉がやけにうるさく感じられたら、
それはぼくたちの文明に対する警告かも知れません。
天変地異の前ぶれでないことを祈るばかりです。

photo=一極集中の象徴、東京都庁(c.nagase)

 

雨の日は傘を差そう

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赤福本店ドラマの主人公は、
なぜ傘も差さず雨の中に飛び出して行くのだろう。
激しい感情の表現だろうか。
緊迫感だろうか。
悲壮感だろうか。
それにしても傘ぐらい差せばいいのにと考えてしまう。

 

こういう主人公は、
物語の終盤で必ず無茶なことをする。
嵐の日に(しかも夜中に)、
わざわざ病気の恋人を外に連れ出そうとする。
もう一日待てないのだろうか。
お天気の昼間に、
大勢の人に助けられて外出するというわけにはいかないのだろうか。

 

雨の日に傘を差さない人は、
破滅に向かって突き進んでいるとしか思えない。
危なっかしくて見ていられない。
観客をハラハラさせるために、
土砂降りの中を駆けずり回るのだろうか。
それなら一応理にかなっているが、
あざとく稚拙な演出だと思う。

 

嵐が近づくと、
友人の牛尾画伯が山から降りてくる。
目がらんらんと輝いている。
何もこんな日に酒を飲まなくてもいいと思うのだが、
さすがに相棒がいないらしく、
たいていぼくが引っ張り出される。

 

嵐の「味光路」は閑散としている。(当たり前だ)
驚いたことにそれでもスナックは営業しているのだ。
牛尾さんとぼくは次から次へ扉を開ける。
どの店にも客がいない。
暇をもてあましていた女の子にちやほやされ、
店は貸し切り状態になる。
「こんな日にありがとう!」
印象に焼きつくものらしく、
次に行ったときも大切にされるようになる。

 

雨の日に外出するのなら、
ここまで計算するべきだ。
少なくともぼくたちは、きちんと傘を差している。

photo=三重県伊勢市、雨の赤福本店(c.nagase)



*雨の伊勢神宮(追加)です。


伊勢神宮1




伊勢神宮3

伊勢神宮4


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