2008年7月アーカイブ
甥のユウトが腕立て伏せに熱中している。
10回やっては力こぶをつくり、
その固さをたしかめる。
納得がいかないらしく、
首をかしげてまた腕立て伏せにもどる。
これを何度もくり返している。
アホではなかろうか。
そんなに早く筋肉が付くわけないのに。
ところが今年50歳になるおじも似たようなことをやっていたりする。
ジムに行く。
マシンで汗を流したあと、
必ず腹筋運動をする。
腹筋板を急傾斜にし、
ロッキーみたいに体を持ち上げる。
1セット15回、
セットが終わるたび下腹をさわっている自分に気がついた。
そんなに早く体脂肪が消えてなくなるわけがない。
ぼくの精神年齢は、
ユウトの年代で止まってしまったのだろうか。
小学5年生のあたりで。
photo=噴水(c.nagase)
おばのA子が料理教室に通っていた頃のこと。
「今日はフランス料理やぞ!」
とA子が言った。
「えー、何なに?」
と弟とぼくがしっぽを振った。
A子は自信満々の笑みを浮かべた。
「舌平目のムニエルや!」
舌平目のムニエル!
昭和40年代の小学生の耳にあまりにも鮮烈なその響き。
晩ごはんが待ち遠しかった。
日が暮れて、
食卓にならんだその一皿を今でも思い出すことができる。
それは妙に白っぽい魚の切り身だった。
べしゃべしゃと水っぽく、
うすぼんやりとした味だった。
何と言っていいかわからず、
弟もぼくも黙々とご飯を食べていた。
空気を変えたのは母親のひとことだった。
「フランス料理も大したことないなあ!」
蛍光灯が明るさを増したような気がした。
「フランス料理も大したことない!」
と弟とぼくはうなずき合った。
舌平目のムニエルがおいしくないのはおばの腕のせいではなく、
フランス料理のせいになってしまった。
この年になっても、
弟と外で酒を飲むときは必ず居酒屋のカウンターになる。
横文字の店で酒など飲めるか、
と心のどこかで思っているらしい。
ぼくたちの母親は無知で粗雑なところがあったが、
同時に無邪気で愛らしい人でもあった。
「フランス料理も大したことない!」
とうそぶきながら、
弟もぼくも大いに充足していたのだった。
photo=大賀ハス(c.nagase)
暑い日が続いている。
昼間もつらいが、
夜の寝苦しさがたまらない。
クーラーをつければよいのだが、
それも自分に負けたようで悔しい。
南方熊楠に連なる生粋のエコロジストとしては、
何とか低炭素な暮らしを維持したいところだ。
暑さを逃れる妙案はないものか。
冷蔵庫をかき回していたら、
ケーキ屋さんにもらった保冷剤が出てきた。
これだ!
要するに頭を冷やせばいいのだ。
保冷剤をタオルでまいて、
首の後ろに当てて寝た。
浅い眠りから醒めるとカーテンの隙間が明るくなっていた。
保冷剤はすっかり溶けてしまい、
ぐにゃぐにゃのゲルに戻ってしまった。
まだ眠い。
ゲルを交換するのももどかしく、
そのまま二度寝してしまった。
よほど暑かったのだろう。
夢とうつつを行ったり来たりしながら、
おかしな夢のメドレーを見た。
最後に見た夢は悲惨だった。
電源の切れた冷蔵庫にぼくは閉じ込められていた。
密室は暑苦しく、
安物の樹脂の匂いが立ち込めていた。
「がっ!」
と鼻腔を鳴らして飛び起きると、
目の前に保冷剤があった。
匂いの正体はこれだった。
ゲルにしみこんだ冷蔵庫の匂い。
食品と樹脂の複合臭にぼくは頬ずりをしていたのだった。
嫌な汗が額ににじんだ。
自虐的エコロジストの夏は長い。
戦いはまだはじまったばかりだ。
photo=c.nagase
おじさんの酒を飲む姿が抜群にかっこよかった。
夏の午後、縁側に片ひざを立て、
一升瓶を手元に置いて茶碗酒を飲んでいた。
上半身裸だった。
肴はたいていキュウリか新しょうが。
縦長に切ったものに味噌をつけてひとかじり、
口を洗うように日本酒を飲み干していた。
横から茶碗をのぞきこむと、
底の模様がくっきり見えた。
藍色の太い輪を今でもよく覚えている。
この姿が、ぼくにとって酒飲みの原型になった。
何しろおいしそうに見えた。
早く大人になって日本酒を飲みたいと思った。
大人になって飲んだ日本酒はさほどうまいものではなかったが、
それは日本酒のせいではなく、
きっと自分が悪いのだろうと思った。
それほど見事な飲みっぷりだった。
朝鏡を見たときに、
チャリ(もみあげ)の長さが気になった。
左右の長さが微妙にちがう。
自分でそろえようとした。
はさみでチョキンとやったら切りすぎた。
反対側をチョキン。
右、左、右、左。
「ああ!」
と絶望の声が出た。
気がついたらチャリがなくなっていた。
学校に行けない!
ぼくはパニックにおちいった。
時は1971年、
ぼくは小学6年生だった。
テクノカットが世に出る8年前のことである。
チャリのない頭で表に出られるわけがない。
「わあ!」
とぼくは叫んだ。
「学校やめるー!」
奥からおばのA子が出てきた。
「どうした?」
ぼくはわが身の悲劇を訴えた。
「もう学校に行かれへん!」
「ふうん。」
とおばは鼻を鳴らした。
「チャリぐらい、描いたらええ。」
おばはマジックでぼくのこめかみにチャリを描きはじめた。
最初小さかったチャリがだんだん大きくなっていく。
膝枕をされたまま、
ぼくは不安に耐えていた。
くくくっ、と笑いをこらえながら、
おばの指先が思わぬ方向に動く。
チャリはこめかみから頬へ広がり、
とうとう尾崎紀世彦のもみあげのようになってしまった。
「これ、おかしないか?」
「おかしない。よう似合う。」
ぼくは家を追い出され、
学校への道をとぼとぼ歩き出した。
そこから先のことはよく覚えていない。
机のまわりに女子が集まり、
大爆笑が起こったことをぼんやり記憶している。
この日を境に、
ぼくは「オモロー!」な人生を歩みはじめることになる。
詩人の魂が粉々に砕け散った日、
巷には『また逢う日まで』がひっきりなしに流れていた。
photo=稲(c.nagase)
海の家のバイトをしくじり、
ぼくはもとのプータローに戻ってしまった。
1984年のことだった。
たまたま運よく地元出身の代議士が秘書を探しているという。
天から降りてきた蜘蛛の糸かもしれない。
伝手を頼り、
採用試験を受けさせてもらった。
とにかくぼくはヒゲをそった。
白っぽいシャツに袖を通し(スーツを持っていなかった!)、
ズタ袋を肩に赤坂のマンションに向かった。
残暑きびしい9月のことだった。
嫌になるくらい暑い日だった。
坂の途中の自動販売機に『ドクターペッパー』を見つけた。
いやはや珍しい。
コカコーラのできそこないの弟。
咳止めのシロップの風味。
日本中からあっという間に姿を消した失敗作が懐かしく、
ぼくは自販機にコインを投入した。
ドサドサ、と音がしてドクターペッパーが転がり落ちてきた。
自販機が故障したらしくいくらでも出てくる。
もちろん1本あればいいのだが、
残していくのももったいなく、
ぼくはドクターペッパーをズタ袋に詰めた。
350mlのスチール缶が5、6本、
ズタ袋がパンパンにふくれあがった。
採用試験というから何をされるのかとビビリあがっていたが、
簡単な作文と面接があるだけだった。
筆頭秘書の方と世間話のようなことをした。
話がかみ合っているのかいないのか、
それさえも当時のぼくにはわからない。
面接が終わり、無罪放免されるときがきた。
「あ」
とぼくは気がついた。
ズタ袋の中にドクターペッパーが入っている。
これをプレゼントしていこう。
持って帰るのも重いし。
「これ、お土産です。」
と言ってガサゴソ取り出し、
ドクターペッパーを机にならべた。
「百円入れたらこんなに出ました。ラッキーでした。」
筆頭秘書が目を丸くしていた。
今にして思えば、
絶対に採用されるべきケースではなかった。
ところがぼくは採用された。
求める人材とあまりにもかけ離れていたため、
あっけに取られて採用されたのかもしれない。
面接官の憐憫だったのかもしれないし、
世の中にまだゆとりがあったということかもしれない。
異端分子が排除されない、
古きよき時代の思い出。
photo=枯木灘(c.nagase)
「さあよ」とひとこと覚えておけば、
田辺で日常会話に困ることはないと思う。
「どうよ?」
「さあよ。」
みたいな使い方。
褒められても「さあよ」
叱られても「さあよ」
何を訊かれても「さあよ」
肯定でも否定でもなく、
同意でも不同意でもない「さあよ」
かと言って保留とも言い切れない「さあよ」
とにかくこれほど便利な言葉はほかに思い当たらない。
「引越したんやて?」
「さあよ。」
「けしからん話やなあ。」
「さあよ。」
「話がちがうやないか!」
「さあよ!」
「明日晴れるかなあ?」
「さあよ?」
「何食べる?」
「さあよ?」
どんな場面にも当てはまるし、
とりあえずそこで会話が丸く収まるところがありがたい。
コミュニケーションが緊迫しても、
「さあよ」で何とか乗りきれそうな気がする。
それ以上追求するのは野暮というものだ。
photo=古いポンプ(c.nagase)
「やりこんだら、どしこんで、ぞれこんでゆく」
ゆっくり話してくれているのに、
うまく聞き取ることができない。
「やりこんだら、どしこんで、ぞれこんでゆく」
さっぱり意味がわからない。
「やりこんだら、どしこんで、ぞれこんでゆく」
参りました。どうか意味を教えて下さい。
白旗をあげたぼくを見て、
「かっきん」こと柿白享子(かきしろきょうこ)さんが艶然と微笑んだ。
場所は和歌山放送新宮支局。
サテライトスタジオを表敬訪問したときのこと。
ぼくは新宮弁のレクチャーを受けていた。
「やりこんだらというのは、
スピードを出しすぎたら、という意味です。」
「へーえ?」
「どしこんでというのは、
壁に激突して、という意味。」
「ふぅーん。」
「ぞれこんでゆくというのは、
崖下に転落していく、という意味です。」
「ほぉーお。」
つまり、
スピードを出しすぎたら、
ガードレールを突き破って、
谷底に転落していくぞという警告。
国道168号線のイメージだという。
怖っ!
それにしても、
「ぞれこんでゆく」
とはまたどうよ。
日本語ばなれしていると思いませんか?
ぼくの耳には、
タモリのハナモゲラ語にしか聞こえない。
興味を示したぼくに、
かっきんは次々と難問を出題してくる。
「ちりきって。」
「はりきって?」
かっきんが小さくかぶりを振った。
「ちりきって。」
全然イメージがつかめない。
「どんな風に使うんですか?」
「ちりきっていく。」
「?」
「ちりきってたね!」
「イライラしてたね?」
今度は大きくかぶりを振った。
「飛ばしてたね、という意味です。」
ぼくは天を仰いだ。
どうやら新宮にはスピード狂が多いみたいだ。
最後にかっきんは新宮弁のイントネーションを教えてくれた。
「どィらい。」
「どえらい。」
「どィらい。」
「どいらい。」
「どィらい。」
「どぃらい。」
やっとOKが出た。
抑揚が女性的でとてもやさしい。
何度もくり返す内にふわりといい気持ちになってくる。
しかし油断は禁物だ。
何しろ「やりこんだ」り、「ちりきった」りする土地柄だ。
帰り道は安全運転を心がけよう。
シミュレーションのことを、
長い間シュミレーションだと思い込んでいた。
シミュレーションなどというと、
何かしみったれたセコい感じがするのだが、
こちらが正解だった。
自分の教養のなさが嫌になる。
「ヒットエンドラーン、ヒットエンドラーン」
と歌いながらどこかに消えてしまいたくなった。
そういえば昔、
白浜のホテルの通用口で面白い貼り紙を見たことがある。
文字は墨の太字。
おそらく不正行為が発覚したのだろう。
納入業者に対する禁止事項が列挙されていた。
検品を受けろとか、
伝票を残せとか、
金品の授受をするなとか、
怒りのこもった文字がならんでいた。
とくに末尾の一行がすごかった。
「これらに違反をした者はテナルティを科す」
思いきりここで力が抜けた。
テナルティか。
TNT爆弾みたいである意味怖いが。
近所のイタリアンでランチを食べた。
ここのシェフは研究熱心で頼もしい。
サラダを並べながらこう言った。
「今日はサニレタ(サニーレタスの略称)が固かったんで山田錦を入れました。」
びっくりした。
ライスサラダでも出てきたのかと思ったら、
さくらんぼがちょこんと乗っていた。
佐藤錦だった。
photo=熊野古道沿いの景色(田辺市中辺路町高原) c.nagase
雨男・雨女などと気軽に口にするけれど、
この実態がよくわからない。
そもそも一人の人間が生涯を通じて雨に遭遇する確率は、
周囲の人間と較べてそれほど差があるとは思えない。
沖縄と北海道を比較するのは無理があるとして、
同じ地域に住むかぎり、
同じ回数の雨天と晴天を体験しているはずだ。
たとえば管理人のナガセ氏は自他ともに認める雨男である。
ここ一番というときに雨が降るのだろう、きっと。
それにしても、である。
「あんたは雨男やなあ、やっぱり。」
そういう人も同じ雨に濡れているのである。
同じ雨に濡れながら、
その雨を誰かのせいにする理屈がよくわからない。
この6月に、
ナガセ氏は大峰山系の釈迦ヶ岳に登ったらしい。
お天気に恵まれ、
それはそれは気持ちのいい一日だったという。
この話を聞いた仲間の反応が面白い。
「あの雨男にしちゃあ、珍しいな。」
ナガセ氏もまたこの評価を受け入れて、
「ぼくにしては珍しく晴れまして・・・。」
などとニコニコ笑っている。
梅雨の真っ只中に、
標高1800メートルの釈迦ヶ岳が晴れたのだ。
これはもう晴れ男と呼ぶしかないと思うのだが。
雨男と晴れ男のちがいがどこから生まれるのか、
ぼくにはいまいちよくわからない。
photo=晴天の釈迦ヶ岳(c.nagase)
留守番電話の案内は、
どうしてああもまったりとして退屈なんだろう。
「ただいま電話に出ることができません。
ピーと鳴ったらご用件をお話下さい。」
悪くはないが、伝わってくるものもない。
「ピー」というところで気が抜ける。
用件を話したいという気持ちが盛り上がってこない。
「留守番電話に接続します。
発信音のあとにメッセージを録音して下さい。
録音を終了するには1を、
メッセージを確認変更するには#を押して下さい。」
・・・長い。
「ただいま電話に出ることができません。
ピーという発信音のあとに、
お名前とご用件をお話下さい。
なおテレビ電話の場合でも、
音声メッセージのみのお預かりとなります。」
・・・くどい。
どれもこれも娯楽性への配慮が欠ける。
平板な声。
事務的な説明。
もう少し何とかならないものか。
そうでなくても、
留守番電話に向かって一人でしゃべるのはストレスなのだから。
たとえばいくつかの選択肢があって、
その中から自分の好きな声と内容を選べるといいのに。
ぼくなら谷原章介の声を選ぶ。
声をひそめて早口でしゃべらせる。
遠くから霧笛が聞こえる。
「ただいま電話に出られません。
発信音のあとにメッセージをどうぞ。
折り返しお電話をします・・・。」
組織に潜入した工作員と連絡を取り合って入るような気になる。
こちらも声をひそめて早口でしゃべることになる。
大いに盛り上がると思うのだが、どうだろうか。
photo=クモの巣(c.nagase)
今月誕生日が来て50歳になった。
ありがたいことにお花をいただいたり、
カードをいただいたりした。
「お誕生日おめでとう!」
と声をかけてくれる人がいる。
自分のようなものの誕生日を覚えていてくれる人がいるだけで、
かたじけなさに涙があふれそうになる。
駐車場で知人にばったり会った。
「お誕生日おめでとう!」
と声をかけてくれた。
「とうとう50歳になりました」
とぼくは答えた。
「えっ?50歳!?」
知人は心底驚いたらしく両手を大きく開いて見せた。
それ、55歳なんですけど・・・。
photo=エビノキくんへのプレゼント(c.nagase)
昨夜(ゆうべ)と昨日の晩は同じものだと思っていた。
どうやら別のものらしい。
ことは本宮弁と田辺弁のちがいからはじまった。
本宮の古老の時間感覚は、
ぼくたちの常識の枠に収まらないという。
この年になっても学ぶべきことはあるものだ。
『田辺市熊野ツーリズムビューロー』の浦野泰之君から聞いた話。
「昨夜というのは、今日から数えてひとつ前の夜でしょう?」と浦野君。
「うん。」とぼくがうなずく。
「夜が明けて今日になったわけです。」
「そうやね。」
「ですから昨日ではなく、今日の夜。この夜のことを、本宮弁で『ゆうべ』と言うんです。」
へーえ。
ひとつ前の夜だから昨夜。
なるほどなあ。
「そしたら、昨日の晩は?」
「昨日のひとつ前の夜です。」
「ということは?」
「田辺弁で言うところの、一昨日(おととい)の夜です。」
これにはすっかり驚いた。
言われてみれば本宮弁の方が田辺弁よりも筋が通っているような気がする。
少なくともものを考える手順がていねいだ。
昨夜と昨日の晩を一緒くたにするほうが、
本宮弁から見れば粗雑で乱暴な考え方なのかもしれない。
田辺弁も相当奇抜な方言だが、
本宮弁にはかなわない。
必要以上に論理的なところが面白い。
話を聞くうちに、ひとつ疑問が湧いてきた。
それでは今夜、
すなわち今日の終わりにやって来る夜は何と呼ぶのだろう?
まさか・・・明日の夜?
「今日の夜?」浦野君が首をかしげた。
「それは今晩ですね。」
「えー?」ぼくは叫び声をあげた。
「今日の夜は昨夜でしょ?」
「そうですよ。」
「今日の夜は、昨夜になったり、今晩になったりするんですか?」
「そうです。」
浦野君の表情は自信に満ちてゆるぎない。
「今日という日は、昨日と明日、ふたつの夜の間ですから。」
本宮弁から見た時間の感覚。
ふたつの夜にはさまれた今日という日を、
かれらは数直線の上に配置することをしない。
あくまでも今日、
もっと言えば今この瞬間を起点に昨夜と今晩を定め、
その先にある過去と未来を一人称のレンズで覗く。
「今日の夜」は「昨日の夜」と「明日の夜」に重なり合うが、
「昨日の夜」と「明日の夜」が「今日の夜」と混同されることはない。
過去に対しても、
未来に対しても、
時の流れは一方向のみに流れて不可逆なものになる。
この態度は客観的ではないかもしれないが、
すぐれて実存的な態度だと思う。
本宮弁は深い。
照葉樹林のように深い。
photo=熊野本宮大社の旧社地「大斎原」でのイベント(c.nagase)