美酒粗肴
おじさんの酒を飲む姿が抜群にかっこよかった。
夏の午後、縁側に片ひざを立て、
一升瓶を手元に置いて茶碗酒を飲んでいた。
上半身裸だった。
肴はたいていキュウリか新しょうが。
縦長に切ったものに味噌をつけてひとかじり、
口を洗うように日本酒を飲み干していた。
横から茶碗をのぞきこむと、
底の模様がくっきり見えた。
藍色の太い輪を今でもよく覚えている。
この姿が、ぼくにとって酒飲みの原型になった。
何しろおいしそうに見えた。
早く大人になって日本酒を飲みたいと思った。
大人になって飲んだ日本酒はさほどうまいものではなかったが、
それは日本酒のせいではなく、
きっと自分が悪いのだろうと思った。
それほど見事な飲みっぷりだった。
一升瓶を空けたことありますか。
僕はないです。
若いころ、友だちと一升瓶をそれぞれ一本ずつ買って、
どこまで飲めるか試したことがあります。
朝起きたら、友だちの分は空で、
僕のはまだ3合ぐらい残っていました。
うーん。頭が痛かった。
それにしてもいったい誰があんな瓶を考えたのか。
江戸時代、瓶はなく、量り売りです。
伏見の大倉酒造で“発明者”を聞いたことがありますが、
答えは「わかりません」でした。
一升瓶の”発明者”!
いわれてみれば、
物事にはすべてはじまりがあるのですね。
一升瓶を発明した人もすごいけれど、
同時に一升瓶が今の世に受け継がれてきたこと自体に意味があるのでしょうね。
「不美不存」という言葉が正しければ、
一升瓶のフォルムそのものが美しく、
使う人にとって機能性が高かったということでしょうか。
それにしても物事の「はじまり」を追求する紫竹さんの横顔は、
ぼくには”刑事コロンボ”のように見えます。
『萬晩報』http://www.yorozubp.com/
のコラムは本当に勉強になります。
「はじまり」を明らかにすることは「本質」を明らかにすることだと知りました。
サミットの話題などまさしく目からウロコでした。
以前こんなクイズを出されたことがあります。
「信号は何色か?」
「3色」と答えたら相手はにやりと笑いました。
答えは4色。
もう1色なければ3色の区別がつかないのですね。
信号の4番目の色が見える人に驚嘆したものです。
紫竹さんのコラムを読むたび、
このクイズを思い出します。
友だちから聞いた実話です。
友だちの友だちが、
・・・こういう出だしの話はうそくさいと相場が決まっていますが、
繰り返して申し上げますと、実話です。(ていうか、実話だそうです)
で、その人が「今日は職場で飲み会があったんだ。すっかり忘れていたけど、
なにか一品持っていくことになっていたんだ」と
朝、出がけの忙しいときに思い出して、
台所に置いてあった一升瓶を袋に突っ込んで出かけたそうです。
遅刻ぎりぎりで職場のビルに到着。
エレベーターで上がっていきながら、ふと手元の袋の中を見たら
醤油の一升瓶が入っていたのだそうです。
飲みっぷりとは関係ない、あわてっぷりの話ですみません。
うわあ、この話好きです。
っていうか、
お酒の代わりにお醤油を抱いてくるキャラクターが大好きです。
一升瓶の大きさはつくづく不思議ですね。
あれはハブ酒をつくる人が、
ちょうどハブ一匹おさめるために発明した大きさではないかしら。
ちがうかな?