2008年12月アーカイブ

大晦日

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虎ケ峰の夜明け2008年12月31日、大晦日です。

大過なく一年が過ぎ、

こうしておだやかな一日を迎えることは、

何にも増してありがたいものです。

このページを開いてくださった皆様もまた、

何かあたたかいものに満たされてこの日を迎えられたことと存じます。

 

音楽家にかぎらず、

ものをつくりだす人は全般に、

心に穴の開いた存在に見受けられます。

魂の欠落を埋めるために、

楽器を演奏し、

言葉をつむぎ、

絵筆を走らせるかのようです。

ぼくは夢想するのですが、

芸術家の魂に平安の日が来れば、

かれらは歌わず聴く人になり、

あるいは語らず読む人になり、

あるいは描かず見る人になるような気がします。

静けさと安定を得るために、

芸術家の生涯があるのではないかと。

 

何よりも大切なものは静けさ、

といえばいいすぎでしょうか?

 

一年を締めくくるにあたって、

「聖フランシスコの祈り」を引用したいと考えました。

ぼくはキリスト教徒ではありませんが、

この言葉に宿る精神の

比類のない美しさに打たれます。

先人の祈りに触れ、

珠玉の言葉に心を洗い、

行く年を心豊かに見送りと同時に、

新しい年をすがすがしく迎えたいと願っています。

磨き上げたグラスで、

澄んだ水をすくうように。

 

 

聖フランシスコの祈り

 

主よ、

私をあなたの平安の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、

いさかいのあるところにゆるしを、

分裂のあるところに一致を、

疑惑あるところに信仰を、

偽りのあるところに真理を、

絶望のあるところに希望を、

闇に光を、

悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

慰められるよりも理解することを、

愛されるよりも愛することを求めますように。

私たちは与えるから受け、

ゆるすからゆるされ、

自分を捨て去ることによって、

永遠の命をいただくのですから。

 

※『ほんまかい通信』の次回の更新は、

2009年1月5日(月)を予定しています。

どうぞよいお年をお迎えください。

 

 

photo=虎ケ峰の夜明け(田辺市龍神村) c.nagase

雲の展示場

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飛行機雲一年中空を見上げて生活しています。
雲のかたちが気になって仕方がないのです。
斜めに傾いた太陽が、
雲の輪郭をうまい具合に照らし出したりすると、
ものすごく得をした気分になります。
雲は移動し、
太陽は傾き、
ほんの一瞬の出来事ですからね。
一期一会の感動があります。

 

季節の変わり目に、
ありとあらゆるかたちの雲が勢ぞろいして、
目を楽しませてくれることがあります。
大空を背景に、
雲の顔見世興行のような日。
これを『ゆきあいの空』と呼ぶことを、
倉嶋厚氏の著作に教わりました。
きれいな日本語ですね。

 

同じ空を『雲の展示場』と名づけ、
新しい歌を作ってみました。
ふたつの季節にまたがる雲は、
混沌でもあり、
胎動でもあり、
時代の折り返し点を連想させます。
2008年は、
このような折り返しを感じさせる年でした。
季節の変わり目に強い風が吹くように、
思いがけない出来事に遭遇することがあっても、
ここからいい時代がはじまったねといえるように、
日々を努力したいものです。



雲の展示場
作詞・作曲:エビノキユウイチ


何も見えなくても窓を開けてほら目を凝らそう
不安が渦巻いて光るものがどこにもなくても
弱さに向き合えるのは強さなんだと
がむしゃらになれる自分のことを信じよう
オカリナの音色が風に乗って
どこからか流れてくる
同じ空の下で同じ歌を口ずさみながら
一年に一度だけの
雲の展示場の真下で


欲望の炎が世界地図に火の粉を散らして
ぼくたちの心をあおりたてるから騒がしいね
千と千尋に出てくるカオナシのよう
怪物が世界を駆けめぐる 光の速さで
あきらめてしまえば楽になると
誰かがささやくけれど
引き潮の時代に生まれてきた意味を伝えよう
水蒸気のカテドラル
夕映えの雲を見上げて


オカリナの音色が風に乗って
どこからか流れてくる
同じ空の下で同じ歌を口ずさみながら
一年に一度だけの
雲の展示場の真下で

photo=飛行機雲(c.nagase)

日ト修好120周年のテーマ

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大島の海.JPGクリスマスが終り、大晦日が見えてきました。
2008年もそろそろ終幕です。
今年も『ほんまかい通信』におつきあいくださり、
本当にありがとうございます。

 

『熊野古道ランドマークソング』の目的は、
地域の魅力を歌にして情報発信することでした。
及川眠子さんと『誓い』という曲を作り、
「イスタンブールで演奏できるといいねえ」
と話したことが、
昨日のことのようでもあり、
はるか昔のようでもあります。
夢は見るべきものですね。
多くの人のお力添えをいただき、
とうとうトルコに行ってきました。
アンカラのオペラハウスで『誓い』を聴いたとき、
まるで夢の中にいるように感じたものです。
満場の拍手が、
今も耳の奥に残っています。

 

おかげさまで『誓い』は、
日ト修好120周年テーマ曲として、
串本町の推薦を受けることになりました。
いっしょに旅をした串本町議の水口崇さん、
梅野光児さんがご尽力くださり、
串本音楽協会の請願を受理してくれました。
在京トルコ大使館がこれに同意してくれれば、
公式にテーマ曲として認められることになり、
さまざまなイベントで使ってもらえる可能性があります。
庄野真代さんをはじめ『国境なき楽団』と、
またトルコを旅することになるかも知れません。
及川眠子さんと投げた小石が風を切り、
翼を与えられて、
空高くはばたくことになりました。

 

はじめに想定した規模をはるかに超え、
日ト二国にまたがる事業として終幕を迎えることは、
望外の喜びというほかなく、
応援いただいた皆様に心から感謝しています。

 

『熊野古道ランドマークソング』のプロジェクトは、
ここでいったん終了し、
また何か新しく、
心浮き立つような企画を考えます。
次の小石をてのひらに温めています。
時をあらため、
また松明を振り回しますので、
どうかご期待ください。

 

何か最終回めいたことを書いていますが、
この『ほんまかい通信』はずっと続けてまいりますのでご安心ください。
画期的なアイデアがあるわけではなく、
あいかわらず馬鹿ばかしいことしか書けませんが、
これからもよろしくお願い申し上げます。

 

ここに『トルコ紀行』を終了し、
ひとまず『熊野古道ランドマークソング』の事業報告といたします。
ありがとうございました!!


 

photo=エルトゥールル号が眠る串本町・大島の海(c.nagase)

 

グランド・バザール

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グランド・バザール.JPG
「トルコでもう一度行きたい場所はどこか?」
と訊かれたら、
まっ先に思い浮かぶのはグランド・バザールの風景です。
もともと迷宮めいた場所が好きで、
だから田辺を離れられないのですが、
迷宮度からいうとグランド・バザールは群を抜いて素晴らしかった。
ここに踏み込むと、
体内磁石がおかしくなります。

 

古い旅館がだんだん大きくなって、
増築につぐ増築の結果、
さっぱりわけのわからない建物になることがあります。
各棟のフロアの高さがちがい、
建築の様式がちがい、
動線に脈絡のない空間。

 

白浜温泉にも、
勝浦温泉にも、
このような魅力的な建物は数軒あるのですが、
さすがにグランド・バザールはスケールがちがいました。
オスマン帝国の建国以来、
パッチワークのようにつぎはぎされて600年。
混沌の闇を、
欲望の炎が照らす空間。
一度迷い込んだら、
二度と出られない気がします。
まさしくイスタンブールの内臓。

 

「トルコ土産は何がいいでしょうか?」
とイスタンブールの総領事館で職員に訊ねたところ、
意外な答えが返ってきました。
それは絨毯でもなく、
金やトルコ石などの宝飾品でもなく、
陶器などの伝統工芸品でもなく、
スカーフや膝かけでもなく、
「からすみとキャビア」
とのことでした。

 

万年二日酔いを見抜かれたのかと一瞬ぎくりとしましたが、
この言葉は真実でした。
品質が高く、
値段が安い。
からすみもキャビアも、
まだトルコ土産として認知されていないので、
一種のエアポケットができているのでしょう。
買うのなら今です。

 

ガイドに連れられ、
オールド・バザールの小さな店で試食したキャビアのおいしさときたら!
同じものを京橋の明治屋で購入したら、
おそらくこの3倍の値段になるはずです。
手持ちのトルコ・リラをはたいて、
大判振る舞いをしたのですが、
からすみもキャビアも、
仲間に配るうちに数が足りなくなり、
とうとうぼくの口には入りませんでした。
だから今も胸がときめきのでしょうか。

 

今度グランド・バザールに行ったら、
手さげ袋にいっぱいからすみを買ってこようと目論んでいます。
そう考えるだけで頬がゆるみ、
鼻息が荒くなります。
テンションは上がる一方です。
航空運賃の差額を考えれば、
長崎に行ったほうが早いんじゃないのといわれれば、
答えに窮するしかないのですが。

photo=蛯乃木ユウイチ

 

ボスボラス海峡クルーズ

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観光船.JPG金角湾の湾口にかかるガラタ橋の周囲には、
フェリー乗り場、
市バスのターミナル、
トラム(路面電車)とオリエント急行の駅など、
あらゆる交通機関が集中し、
いつも人でごった返していました。

 

ガラタ橋の下にある水上レストランでサバサンドを注文し、
微妙な空気になったことは以前報告したとおり。
これはテーブルで食べる料理ではなさそうです。
屋台で買って広場でほおばる、
というのが正解ですね。
塩サバが喚起する和食の記憶を、
無理矢理フランスパンの側に着地させる強引さが、
一種の感動を生み出すサバサンド。
彦摩呂ならば、
「味のねじれ国会やー!」
とでも表現するところでしょうか。

 

水上レストラン.JPGさて、
橋のたもとの発着場から観光船に乗り、
ボスボラス海峡クルーズの出発です。
向かって左側の席に座るようガイドに教えられたのですが、
あいにく1,2階は満席でした。
仕方なく3階に出て、
海風に吹かれながら短い船旅を楽しみました。

 

自分たちも含めて、
外国人観光客ばかりです。
ドイツ、
カナダ、
スペイン、
韓国など、
確認したわけではありませんが、
さまざまな国籍をもつ人々を乗せて、
船は岸壁を離れました。

 

誰もが口にすることですが、
イスタンブールは複数の顔を持っています。
金角湾がへだてる新市街と旧市街、
ボスボラス海峡がへだてるヨーロッパとアジア、
相反する力が拮抗し、
プレートが大陸を押し上げるような活力を発散する海峡の街。
刻々と変化する表情は、
まるで歴史絵巻を見るようです。

 

港町.JPG1時間足らずを船に揺られ、
その間人を乗せたり降ろしたり、
水上バスのようにあちこちに停船します。
ボスボラス大橋を越え、
第2ボスボラス大橋の手前でぼくたちは船を降りました。
寒くなってきたので誰かが降りようと言い出し、
思いつきで予定変更です。

 

好きな場所で勝手に下船できるのも、
このクルーズの大きな特長です。
トルコ人は人をしばったり、
人にしばられたりするのが大嫌いなんでしょうね。
わずか6日ばかりの滞在なのに、
ぼくたちはすっかりトルコ化し、
ずいぶん気ままな旅人になっていました。

photo=上から、
 「桟橋の観光船」
 「ガラタ橋の水上レストラン」
 「港町イスタンブール」
by蛯乃木ユウイチ

 

クレオパトラの門

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クレオパトラ.JPGメルシンでの公式行事が終り、
5日目はイスタンブールへの移動です。
今日は比較的時間にゆとりがあるので、
観光を入れてほしいという声が上がりました。
アダナ空港に向かう道すがら、
タルススという古い街があると聞き、
そこでケバブ(焼肉のサンドイッチ)を食べて、
飛行機に乗ることになりました。

 

この旅で見えてきたことは、
奇妙な言い方になるのですが、
オスマン帝国時代を含めて、
トルコは新しい国だなあという印象です。
そう思えるくらい古い遺跡が数多く残されているのです。
ギリシア、
ヘレニズム、
古代ローマと、
さまざまな遺産が無造作にならび、
天井のない博物館にいるような気がします。
紀元前の道路や建築が、
児童公園みたいに点在するのですから。

 

どでかい路線バスが幹線道路をそれ、
にぎやかな市街に進入し、
最初に止まった場所、
そこに「クレオパトラの門」がありました。

 

古代都市タルススの扉は、
広い並木道の突き当たりにあり、
さんさんと降り注ぐ陽光を浴びていました。
ガイドブックには、
こう記されています。

 

「紀元前44年にジュリアス・シーザーが暗殺されたあと、
後継者のひとりアントニーはアナトリア(トルコ東部)に向かい、
エジプト女王おクレオパトラと協定を結びました。
このアンティークの門は、
クレオパトラの門と呼ばれています。 
アントニーがクレオパトラに、
ここで初めて会ったからです」(メルシンの広報紙から抜粋)

 

くずれ落ちかけた石のアーチは、
戯曲や映画で有名な『アントニーとクレオパトラ』の舞台でした。
二人はここで恋に落ち、
クレオパトラに溺れたアントニーは身を滅ぼし、
クレオパトラもまた自死を選ぶことになる悲劇は、
ここタルススで幕を上げたのです。

 

舞台に役者の姿はなく、
装置の一部が取り残されただけ。
それでもさびれた印象を与えないのは、
地中海の太陽がよほどまぶしいということでしょうか。

photo=クレオパトラの門(蛯乃木ユウイチ)

猫のテーマパーク

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イスタンブールの猫.JPGトルコを旅して気がついたのですが、
どこに行っても猫がいます。
イスタンブールなど、
トプカプ宮殿の芝生の上にも、
新市街の目抜き通りにも、
グランドバザールの迷宮にも、
行く先々に猫がいるのです。
ぼくはどちらかというと猫に好かれるタイプではないのですが、
イスタンブールの猫はちがいました。
声をかければ振り向くし、
話しかければ近づいてきます。
人によく慣れているみたいです。
猫好きにはたまらない街でしょうね。

 

じっと観察していると、
集団で動くものと、
単独で動くものがいます。
われわれの見る地形と、
猫の見る地形は大きな隔たりがあるらしく、
人間の造形物など眼中になく、
猫道をぐんぐん突き進む一匹狼(猫!)は、
なかなか魅力的です。

 

イスタンブールの猫は、
頭が小さく、
手足(?)が長く、
プロポーションがよさげに見えました。
環境のちがいからそうなるのか、
そもそも遺伝子がちがうのか、
理由はよくわからないけれど、
身近な動物の容姿のちがいが面白く、
飽きず眺めることになりました。

 

イスタンブールの街は、
曲線が多く、
行き止まりが多く、
高低差が多く、
旅行者の平衡感覚を歪めるようなところがあります。
猫道を歩く猫は、
ひょっとしたらこのような五感の運動を体験しているのかもしれません。
居ながらにして猫になれる街。

 

イスタンブールの魅力は、
思いがけないところにかくれていました。

photo=イスタンブールの猫(蛯乃木ユウイチ

哀愁のメラトニン

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大イチョウ.JPG秋の心と書いて「愁(うれ)い」と読ませることを、
発明したのは誰だろう?
と思うくらいこの漢字はよくできています。

 

11月から12月にかけて、
銀杏が色づく季節になると、
情緒不安定になる自分が不思議でなりませんでした。
憂鬱というのではないのですが、
心細いような、
物悲しいような、
タイヤキを食べたいような気分になりがちでした。
人気のない湖で小舟に揺られているような感傷は、
どうやらぼく一人のものではないようです。

 

冬季鬱病という症状があって、
人間の心の動きが日照時間に連動していることを、
最新の研究が明らかにしてくれました。

 

「名古屋大学大学院の吉村崇教授の研究グループはマウスをモデルとして、
我々哺乳類が季節を感知する仕組みを世界で初めて解明しました。
【ポイント】
・季節を感じる能力がないと考えられていたマウスが季節を感じることを発見
・メラトニンが季節の情報を脳に伝達する仕組みを解明
・ 人の季節性感情障害の理解に寄与」(プレスリリースから抜粋)

 

要するに正常なマウスは、
日照時間の変化に応じてメラトニンの血中濃度が変化することが判明したわけです。
メラトニンは睡眠を促すホルモンとして知られていますが、
甲状腺刺激ホルモンを介して視床下部(生命活動の司令塔)に働きかけるため、
性欲とか、
食欲とか、
情動行為や本能行為に影響を与えるのですね。
人恋しくなったり、
お腹が空いたりするのは、
きわめて自然な現象だったのです。

 

ふーん。
そうだったのか。

 

哀愁の正体が、
メラトニンとは知りませんでした。
銀杏と同じく、
日照時間の影響を受けていることも。

 

多少情緒が不安定になっても、
それが創作の原動力になるなら、
秋は実りの季節といえます。
ああ、それなのに。
「揚げまん」やら「塩豆大福」やら、
甘いものを食べてやすやすと充足する自分が情けない。

 

ぼくの視床下部にいる司令官は、
残念ながら芸術向きではなさそうです。

photo=福定の大銀杏の庭(田辺市中辺路町) by蛯乃木ユウイチ

白河屋の揚げまん

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白河屋の揚げまん.JPG「なぜ今まで知らなかった!」
と遺恨に胸をかきむしりながら、
のたうつほどおいしいのが白河屋の揚げまんです。

 

封を切ると、
パアッと小麦の焦げたにおいが立ち上り、
パン屋の店先に立っているようです。
まるでバゲットの香ばしさです。
衣の表面はサクサク乾き、
衣それ自体はもっちりと濡れ、
相反するふたつの食感が噛むよろこびを倍増させます。
菓子職人の「どうだ!」の声が聞こえそう。

 

菓子の分類としては、
あんドーナツに似ているのですが、
同じ小麦の作品ながら、
ドーナツのようにスポンジではなく、
中国大陸の饅頭に近い感じ。
素朴で懐かしく、
乾いた大地の味がします。

 

「月」(にくづき)のとなりに「旨い」と書くように、
油脂は旨みそのものとなって口中で騒ぎ、
こし餡のひんやりとした甘みを引き立たせます。
食感と味覚にひそむ両極端、
硬と軟、
冷と熱が五感にメリハリを与えるので、
するすると何個でも胃の中に落ちていく。
これはかなりヤバイです。

 

白河屋の揚げまんは、
劇団『ふるさときゃらばん』の山林堂典子さんが送ってくれました。
福島県二本松市の名物だそうです。
東京や大阪で見かけることはないけれど、
地元で知らない人はなく、
「最中」や「大福」のように「揚げまん」というジャンルが確立されており、
「揚げまん御殿」が建つほど売れる商品だとのこと。
中でも「白河屋」のものがおすすめと山林堂さんの選。

 

こんなにおいしいものが、
地元だけで消費されているのですね。


もったいないなあ・・・
というか、
うらやましいなあ・・・

photo=蛯乃木ユウイチ

トルコの教科書

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トルコの教科書.JPG明けて4日目は朝から予定がびっしり、
ハードスケジュールでした。
知事を表敬訪問し、
市長を表敬訪問し、
近隣のお偉方といっしょに昼食をとり、
商工会議所でメルシンの経済と産業についてレクチャーを受け、
エルトゥールル号遭難者の慰霊碑に参拝し、
気がついたら日が暮れていました。

 

ここメルシンには、
串本町とそっくりの慰霊碑があります。
市庁舎の目の前が地中海。
広い海浜公園の中に、
その慰霊碑はそびえていました。
軍楽隊の演奏に合わせて子供たちが旗をふり、
ぼくたちは慰霊碑の前へ。
セレモニーは厳粛でした。

 

1890年(明治23年)、
「エルトゥールル号は、
串本沖にて台風に遭い、
580名のトルコ人船員が命を落とす。
串本町民は救出された64~65名の船員を手厚く看護し、
殉職した人々のために支援活動を行った。
集められた支援金は、
時の統治者に渡された」(サライ印刷所/アンカラ2006年)

 

これはトルコの初等教育(5年生)に使われている教科書の抜粋です。
子供のやわらかな感性に、
日本人の献身のイメージが刷り込まれ、
トルコ人の親日感情は、
今も更新されていることがわかります。

 

トルコのアイスクリーム会社が行ったアンケートによると、
小学生が将来「行ってみたい国」の第1位は日本だそうです。
教育の重さを痛感します。

 

これを見て、
「好きになってくれてありがとう」
ですませてよいものかどうか。
たとえばイラン・イラク戦争のとき、
テヘラン空港に取り残された日本人を救出してくれたのがトルコ航空だった事実を、
いったい何人の日本人が知っているでしょうか。
2機の飛行機を残留邦人の救出に向かわせたため、
トルコ人は陸路イランを脱出した事実。
トルコ人が感じている恩義を、
ぼくたち日本人が知らないとしたら、
これは人として恥ずべきことではないでしょうか。

 

個人にかぎらず、
国と国との友情も、
相手をよく知るところからはじまるはず。
トルコ人に比べて、
ぼくたち日本人はあまりにもトルコのことを知りません。
ぼくたちの活動が、
このアンバランスを水平にもどす役に立てるなら、
これほどうれしいことはないのですが。

 

追悼式典に参加し、
殉難者の冥福を祈らずにはいられませんでした。

photo=蛯乃木ユウイチ

串本姉妹都市通り

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空港のフェニックスアンカラ空港からアダナ空港までおよそ600キロ。
飛行機で1時間の距離です。
機内ではずっと眠っていたので前後の記憶が定かではなく、
気がつくと降下がはじまっていました。
内側に倒れてくる鼓膜を鼻息で押しもどすと、
「ベコッ」と大きな音がしました。
窓から見えるのは穀倉地帯の風景。
畑のうねが雲形定規のように波打っています。

 

今回の目的地はメルシン市。
串本町の友好都市です。
さてどんなエピソードが待っていることやら。
アダナ空港には接続ゲートがなく、
タラップで滑走路に降りて移動です。
むかしの南紀白浜空港を思い出しました。

 

それにしても暑い。
これは南国ではないか、
というのがアダナの第一印象です。
地中海まであとわずか。
空気にしめり気を感じます。

 

メルシン市の路線バスメルシン市の職員が出迎えてくれ、
バスに案内されました。
驚いたことに、
どでかい路線バスでした。
まさか吊り革のついたバスに乗せられるとは。
テンションが上がりましたね。
めいめい好きな場所に陣を取り、
意気揚々と出発です。

 

串本町とメルシンの交流がはじまったのは1975年、
30余年の歴史があります。
その当時7万人だった人口が飛躍的に伸び、
今では60万人を超えるとか。
この人口の話が面白くて、
関係者に数字を聞くとそれぞれいうことがちがうのです。
一番多かった声が100万人。
下が80万人、
上が120万人ともう見事にばらばらです。
日本に帰って統計を見ると、
2005年の時点で60万人とありました。
それから3年間で40万人増、
ということはないですよねえ、まさか。

 

串本姉妹都市通り(KUSHIMOTO SOKAGI)数字はいいかげんですが、
日本人に対する友情は本物です。
メルシンには、
串本の名前のついた通りがありました。
道路標示に「串本姉妹都市通り」の文字。
ゴムの樹がおおい茂り、
南国情緒たっぷりです。
串本とは相性がいいはずですね。

 

今夜は商工会議所の会頭と食事会。
いよいよ明日は記念式典です。

photo=上から、
  「アダナ空港のフェニックス」
  「メルシン市の路線バス」
  「串本姉妹都市通り(KUSHIMOTO SOKAGI)」

by蛯乃木ユウイチ

うたの旅人

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うたの旅人.JPG

トルコ紀行の真っ最中ですが、
またまた業務連絡です。
明日発売(12月6日付)の朝日新聞をぜひご覧下さい。
『うたの旅人』欄に庄野真代さんの『飛んでイスタンブール』が取り上げられます。
今回のトルコツアーが記事になる予定です。

 

前半は『飛んでイスタンブール』の誕生秘話。
後半でツアーの話題を中心に、
串本とトルコの関係や、
エルトゥールル号の遭難事件が語られるそうです。
ツアーのきっかけになった『誓い』について、
紙面を割いてくれるとは思えませんが、
見出しに大きく「和歌山からトルコへ」、
と書いてくれたと聞きました。
明日の朝刊が本当に楽しみです。

 

もともと『熊野古道ランドマークソング』は、
地域の風景を歌にして全国に発信というプロジェクトですから、
こうして全国紙に掲載されることはなによりもうれしく、
夢がかたちになった喜びをかみしめています。
120年の長きにわたって、
串本とトルコがあたためてきた友情、
その背景にあるエルトゥールル号の悲劇、
これまで人目に触れることのなかった物語に光が当たり、
大勢の人々の関心がこの地に注がれるようになればよいのですが。

 

「一隅を照らす」という言葉が仏教にあります。
それが社会の片隅であろうと、
自分の居場所に明かりをともし、
周囲を照らす尊さを説いた言葉。
それは串本の人々の道のりと重なり合います。
ひのき舞台で大向こうをうならせるわけではなく、
見方によってはささやかな営みですが、
この善意は金銀財宝に勝るものとされ、
次の言葉が続きます。
「これ即ち国宝なり」

 

このプロジェクトもそろそろ終幕を迎えようとしています。
ゴールのテープが見えてきました。
明日の朝日新聞は、
舞台に乗った人、
舞台裏をささえた人、
応援してくれた人、
袖すり合った私たちの記念になると思います。

 

串本がともした明かりが、
どうか大勢の人の心を照らしますように。

 

トルココーヒー

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アタチュルク廟の国旗.JPG明けて三日目は移動日です。
この日は日曜日ということもあって公式行事を入れられず、
旅程の中でもっとものんびりした一日になりました。
アンカラというのは殺風景な街で、
あまり見て回るものはないのですね。
午前中「アタチュルク独立戦争博物館」と「アナトリア文明博物館」を見て終り。
遊び場の少ない、
堅物の街でした。

 

それでも「独立戦争博物館」はぼくには面白かった。
建国の父ムスタファ・アタチュルク(ケマル・パシャ)の肖像写真が年代順に展示されているのですが、
実にいい顔をしています。
風雪に鍛え上げられて引き締まり、
弓を離れた矢のような意志の強さが伝わってくる。
オスマン帝国を倒し、
大統領に就任する頃の写真など、
瞳が発光しています。
イヌやネコとちがい、
人間は眼底発光しないといわれていますが、
アタチュルクの写真を見ていると
それもアテにならないと思えてきます。
今こんな瞳の持ち主というと、
日本では中島美嘉くらいかなあ。

 

アンカラ城砦.JPGアタチュルクは、
日本の明治維新に範を求め、
独立戦争を戦い抜いたといいます。
大河ドラマ『篤姫』の時代、
日本の男たちもこんな目をしていたのでしょうね、きっと。

 

昼食はアンカラ城塞に隣接するレストラン。
アンカラ全市を見下ろす眺望のよさ。
この店ではじめてトルココーヒーを飲みました。
これがまたけったいな飲み物で、
メンバーの意見がまっぷたつ。
ひとくちすすっただけで顔をしかめ、
二度と口をつけないメンバーも。

 

トルココーヒーというのは、
深入りのコーヒー豆(粉末)を水で煮出してろ過をせず、
カップの上澄みだけを飲むのです。
この上澄みが奇妙に泡立っており、
慣れない目にはコーヒー豆が泥濘化したようにも見える。
成分を完全に抽出しきった液体は、
光を閉じ込めた重力場のような味がする。
だからいいとか悪いとか、
メンバー同士がやがやと議論するのは楽しいものでした。

 

レストランから見たアンカラ市街.JPG三日もたつと、
水と油と界面活性剤が混じり合って、
ほどよくこなれてくるのですね。

photo=上から
「アタチュルク廟の国旗」
「アンカラ城砦」
 「レストランから見たアンカラ市街」
by
蛯乃木ユウイチ

アンカラの夜

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アンカラ1.JPGアンカラのコンサート会場は、
元オペラハウス、
現在は博物館という豪華な建物でした。
開演時間は午後8時から。
現地の感覚からいうと、
これでも時間が早いそうです。
一般的にコンサートの開演時間は午後9時から。
トルコの人たちはかなり夜更かしです。
勤め人の場合、
始業時間は日本と変わらないといいますから、
昼休みがきっと長いのでしょうね。
昼食をゆっくり食べて、
少し仮眠をして、
一日を二度に分けて楽しんでいるようです。
人生を楽しむ姿勢が、
コンサートの開演時間にもあらわれています。

 

この夜、
庄野真代さんたち国境なき楽団の演奏曲目は以下の通りです。

 

アンカラ2.JPGM1.奇跡の森(全員)
M2.願い(ココロコ)
M3.さくら(綺羅)
M4.串本節(全員)
M5.エルトゥールル号追悼歌(全員)
M6.OLURUM TURKIEM(全員)
M7.飛んでイスタンブール(全員)
M8.異邦人(庄野真代)
M9.誓い(全員)

 

アンカラで聞く『串本節』は格別のものがありました。
同行した串本町議、
水口崇さんも梅野光児さんも感激していましたね。
「あー、おっちゃーやーれー」
のかけ声がオベラハウスに反響しました。

 

『OLURUM TURKIYEM』はトルコの国民歌、
老若男女、
誰でも歌える勇壮な歌です。
この曲が実は5拍子で、
日本人の感覚ではうまく手拍子が打てません。
小節の変わり目がわからず、
曲がどんどん逃げていく感じ。
リハーサルでは苦労していましたが、
国境なき楽団の演奏は素晴らしいものでした。
トルコを旅する内に、
変拍子のリズムをすっかり自分の中に取り込んでいました。
さすがは歴戦のプロ!

 

アンカラ3.JPG音楽に接するとき、
ぼくたちはその音楽の中に生き物がいるかどうかを気にします。
音程やリズムが大切なことはいうまでもないのですが、
そういう技術的な約束事を越えて、
いま流れている音の中に生き物がいるかどうか。
1曲5分のドラマの中に生命の片鱗を見つけたとき、
ぼくたちはこう言って喜びあいます。
「音楽になったね!」

 

この夜、
国境なき楽団の演奏の中には、
たしかに生き物が潜んでいました。
それは小さなドラゴンでした。
ドラゴンは楽曲の中に生まれ、
演奏とともに育ち、
60分のステージをつらぬいて巨大な竜になり、
夜空に駆け上っていきました。

 


 

アンカラコンサート.JPGphoto(1~3)=蛯乃木ユウイチ
photo(下)=国境なき楽団のステージ(土橋進)

 

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