トルコの教科書
明けて4日目は朝から予定がびっしり、
ハードスケジュールでした。
知事を表敬訪問し、
市長を表敬訪問し、
近隣のお偉方といっしょに昼食をとり、
商工会議所でメルシンの経済と産業についてレクチャーを受け、
エルトゥールル号遭難者の慰霊碑に参拝し、
気がついたら日が暮れていました。
ここメルシンには、
串本町とそっくりの慰霊碑があります。
市庁舎の目の前が地中海。
広い海浜公園の中に、
その慰霊碑はそびえていました。
軍楽隊の演奏に合わせて子供たちが旗をふり、
ぼくたちは慰霊碑の前へ。
セレモニーは厳粛でした。
1890年(明治23年)、
「エルトゥールル号は、
串本沖にて台風に遭い、
580名のトルコ人船員が命を落とす。
串本町民は救出された64~65名の船員を手厚く看護し、
殉職した人々のために支援活動を行った。
集められた支援金は、
時の統治者に渡された」(サライ印刷所/アンカラ2006年)
これはトルコの初等教育(5年生)に使われている教科書の抜粋です。
子供のやわらかな感性に、
日本人の献身のイメージが刷り込まれ、
トルコ人の親日感情は、
今も更新されていることがわかります。
トルコのアイスクリーム会社が行ったアンケートによると、
小学生が将来「行ってみたい国」の第1位は日本だそうです。
教育の重さを痛感します。
これを見て、
「好きになってくれてありがとう」
ですませてよいものかどうか。
たとえばイラン・イラク戦争のとき、
テヘラン空港に取り残された日本人を救出してくれたのがトルコ航空だった事実を、
いったい何人の日本人が知っているでしょうか。
2機の飛行機を残留邦人の救出に向かわせたため、
トルコ人は陸路イランを脱出した事実。
トルコ人が感じている恩義を、
ぼくたち日本人が知らないとしたら、
これは人として恥ずべきことではないでしょうか。
個人にかぎらず、
国と国との友情も、
相手をよく知るところからはじまるはず。
トルコ人に比べて、
ぼくたち日本人はあまりにもトルコのことを知りません。
ぼくたちの活動が、
このアンバランスを水平にもどす役に立てるなら、
これほどうれしいことはないのですが。
追悼式典に参加し、
殉難者の冥福を祈らずにはいられませんでした。
photo=蛯乃木ユウイチ
100年以上前の行いが教科書に載って、未だに尊敬を受けている。
日本人の行いを気高いものとして、感謝しつづけるという教育は、トルコという国が子どもたちに「君たちも、こうありななさい」と教えていることにほかなりません。
それとは逆に「日本はかつて、わたしたちの国にこんなひどいことをした」と教科書で教えている国もあります。
そういう教育を受けて育った子どもたちは、日本をどう思っているのでしょうか。怖くもあります。
私は自虐史観と言われるものを肯定したり、否定したりする主張は行っていませんが、今行われている教育は、50年後、100年後の国を本当に左右すると確信します。
未来の子どもたちに「誇れる過去」を残してやりたいものです。
まったく同感です。
戦前の軍国教育にしても、
戦後の自虐史観にしても、
それなりの時代背景があり、
無理もないなあと思う反面、
教育が政治に振り回されてよいのか、
という疑問がわいてきます。
戦前も戦後も、
右翼も左翼も、
日本人は事実そのものに向き合うのが本当に下手ですね。
こういうことをいうとすぐに批判を受けるのですが、
戦後の教育はたしかに日本人の方向を決定したと思います。
「物で栄えて、心で滅びる」昨今の現実を見るにつけ、
地に足をつけなければならないときがきたと感じます。
多難な時代ですが、
明るく行きたいものです。
日本人は、
これから日本人になるのです。