さぬきうどん
麺類で何が好きかと聞かれたら、
つい蕎麦だとか、
パスタだとか答えてしまいます。
本当はラーメンを食べる回数が一番多いのですが、
「ラーメン!」
などといおうものならバカ丸出しのような気がして、
思わず格好をつけてしまうのですね。
蕎麦は洗練されているし、
パスタはお洒落。
そう思い込んでいること自体、
どうしようもなく頭が悪いのですが。
食べ物の話はイタリアンに持ち込むのが安全ですね。
とくに女の子が相手のときは。
じゃあ何か食べに行こうとなったとき、
ラーメン屋じゃ間が持ちませんからね。
ましてうどん屋など。
うどん!!
なぜか不当な扱いを受ける麺類の王。
ぼく自身その真価を見誤っていたし、
世間の人々も冷たかったような気がします。
名前がよくないのでしょうか。
「愚鈍!」
と聞こえてしまう悲しさ。
「胡乱(うろん)な奴」
と罵られることも。
色眼鏡をはずして向き合えば、
これほど魅力的な食材も珍しいのに。
袋に入って一玉28円。
あの白いかたまりを「うどん」と呼んだ瞬間から、
ぼくたちはうどんの本質を見失ったのです、きっと。
さぬきうどんが全国を席巻して以来、
各地にすぐれたうどん屋が誕生しました。
雪女と見まがう白い肌、
鋭い輪郭、
ひんやりとした外観からは想像もつかない性格の激しさ。
志の高い職人が打ったうどんは、
留め金の外れたワイヤーロープのように口の中で暴れます。
それはもう噛むという行為を離れて、
うどんと人間が互いに向き合い、
おのれの全存在を賭けて戦う、
ひとつの真剣勝負なのです。
一皿のうどんを片づけたとき、
思わずこうつぶやくことはありませんか。
「勝った!」
うどんが麺類の原点であり、
頂点であることを、
日本人は久しく忘れていました。
遠い昔、
長安に渡った僧空海が、
かの地で打ったさぬきうどんが中国全土に広がり、
それが「麺(ミェン)」と呼ばれるようになり、
シルクロードに子孫を残し、
ヨーロッパに到達してパスタとなった歴史を、
もう一度思い出すべきときが来たのかもしれません(嘘)
ソウルやファンクやヒップホップが、
すべて4ビートから生まれたように、
あらゆる麺類の祖先はさぬきうどんだったのではないか、
とぼくは想像します。
(だからといって4ビートは、
ファンクの代わりにはならないのですが)
たとえば飯田橋の「雅楽」でせいろをたぐると、
なぜか掃き清められた神社の境内が心に浮かびます。
「うどんの中のうどん雅楽」(長くても全部屋号です)のお品書きには、
墨で挑戦状と記されていて、
客をふるえ上がらせますが、
長い不遇の季節を思えば、
それもやむなし。
魂の叫びです。
おのれの無知と偏見を詫びながらすするうどんの食感は、
決して被虐的なものではなく、
蒙(もう)を啓(ひら)かれる喜びに満ちていて、
心身が洗われるような気がします。
デートのときにうどん屋に連れて行かれたら、
それは手抜きではないと思います。
「さぬき」だけに。
photo=上から「雅楽」のちょうちん、 明治神宮北参道、お品書き (by蛯乃木ユウイチ)
なぜ、うどんが不当な扱いをうけるか!
単に「安い」からです。
讃岐では「安い」「早い」「うまい」がうどんに求める3要素。
そばやラーメンのセルフなんて聞いた事もないが、
讃岐のうどんはセルフが基本です。
安くて腹いっぱいになることこそが「うまい」の要素であるはずです。
あ、そうか。セルフ!
その現実を忘れていました。
安くてうまいものに敬意を払わないなんて、
ぼくたちはどうかしていますね。
いつかしっぺ返しに合わなければよいのですが。